1月, 2014 | 淡路プラッツプラッツからのメッセージ
親にとっても“居場所”?
淡路プラッツは設立21年目となり、当時から続いている“親の会”があります。人数の増減はあれど脈々と続いていることへの畏敬と、変わらず必要とされている状況に心苦しい思いもします。ただ、必要とされる方がいらっしゃる限り、続いていくことを望んでいます。そこは、確実に“親の居場所”となっています。
私は主に、面談を担当させていただいています。なので、若者に関わるよりも、実は親ごさんとの関わりの方が多いです。そこで、私なりに、プラッツが親ごさんにとっての“居場所”になるとはどういうことか…について書いてみたいと思います。
プラッツのメニューでは、親ごさん向けのものは、“面談”“講座”“親の会”とお伝えしています。そこに“居場所”とは出てきません。が、それらをひっくるめて、“親にとっての居場所”となります。
“面談”は、ご家族内のことを個別にお伺いして、お話をお聴きしながら、例えば家庭内での声掛けの仕方や、若者について今後の方針を決めていくものです。その経過のなかで、子どもさんのことでご相談に来られていたはずの親ごさんが、気が付けばご自身のことをお話される場合もあります。「あの時、実は自分はこう思っていたんです…。」「私がああしなかったのは、きっとこういう思いがあったからなのかな…。」など、決して反省と後悔とご自身に対する責めだけではなく、さらにその裏にある思いを語られることもあります。そして、個別の空間なので、ご家族の事情もお話されます。つまり、気兼ねなく何を話してもいい場であり、個々の気づきがあり、それらを元に方針を一緒に決めていく場です。
“講座”は、一般的な概論も含め、ひきこもり・ニート・不登校について勉強することで、親ごさん自身に、客観的に現状を見つめていただけるように…と行っています。日常の中で、若者に対して感情的になってしまったりすることは、自然で当たり前なことだと思います。ご家族なのですから。ただ、時に状況を客観的に見ることで、本当に若者が望んでいるであろうことを捉える・現状をできるだけ感情的にならずに捉えるなどができ、講座はそれを行うきっかけとなります。
“親の会”は、その名の通り、親ごさんが集まって、親ごさん同士で状況や情報を共有する場です。そこでは、面談では語られないことも出てきます。もちろん個々で背景や状況は違えど、“同じ親であること”で共有できることの大きさが、そこにあります。淡路プラッツでは、現在はスタッフが最初と最後に挨拶させていただくのみで、会の中心は親ごさんのみでお話しいただいています。時に、スタッフがいることで、かえって流れを遮ってしまうこともあるからです。そこでは、面談とはまた違った角度での気づきがあります。
以上、3つのメニューを簡単にご説明しましたが、それぞれ特徴もあり、共通点もあります。それが“気づく”ことと“他者に受け止められる”ことです。もちろんそれだけでは進まないので、こちらとしては、具体的なアドバイス・方向性・目標を定めていくこと、場合によっては、より適した他機関をご紹介することもあります。ですが、まずは親ごさん自身が、気づきと第3者に受けとめてもらう経験のもと、肩の荷を少しおろしてもらう。少しだけほっとしてもらう。そして、家に帰って若者と関わってもらう…。そうすることで、声掛け1つとっても、言葉じりではなくニュアンスが違ってきます。そうすると、若者への届き方が変わってきます。その循環で、家族間のコミュニケーションが変化していくこと…を目標に、親ごさんと関わらせていただいています。
そう簡単にはいかないものです。特効薬もありません。なので、親ごさんにも根気が必要とされます。でも、おひとりで、もしくはご家族間のみでは、息詰ってしまうと思います。その時に、気兼ねしなくていい、第3者に話せる“居場所”を、持っておいていただけたらと思います。
浅井紀久子
2014年1月1日
カテゴリー: スタッフエッセイ