『表現×プラッツ』 | プラッツからのメッセージ
宮武 小鈴
まっ白い紙に、最初に線を引くとき、ためらいませんでしたか?小・中学校の図画工作の時間を思い出すとき…。
それにいつからか慣れて、思い切りよく描けるようになっていませんか?それともまだ、緊張したりしますか?
《感じる×深める×広まる》
昨年度から、メンバーと『アートプラッツ』という時間を定期的に設けるようになりました。自分でしておきながらなんですが、実は〝アート〟という言葉が大嫌いでした(笑)。軽々しくて、簡単に使われていて、でも本質的な深いところはマジョリティに受け入れられないままにアピールだけしようとしているイメージがあって。
現代美術の要素の一つに〝異端〟だったり〝マイノリティ〟的なものがあります。それは、ある種既存の概念を壊す役割があるからです。作品は、創る者がそれぞれの○○……例えば心の内側?例えば神?命?何か賭けるもの……、と向き合って出てきたなんらかの形だと認識していますが、それと大衆の融合ってありえない…。でも反面、その創り手の「感受性」は理解されるようになったらいいのになと、広まったらいいのになと思っていました、もちろん今もです。一人ひとりの感性が深まって、広がって、それで世界が“平和”になるようなメッセージが“表現されたもの”にはあるといえます。
近頃、“アート”なるものはだんだん市民権を得はじめているような…いやかなり得ています。例えば草間彌生の作品が駅のポスターになっているなどかなり象徴的です。20数年前は彼女の作品は美術手帖等でしか見たことなく、当時いわゆる「美術おたく」と言われていたような(笑)人々の間でしか知られていませんでした。
また、昨年も居場所で旅行しましたが金沢21世紀美術館など現代美術の展覧会に、老若男女が気楽に来ているのをみると、感性進化論的(どんな論だ)には日本は繁栄している、と感じたりもします。
《感じる×続ける》
ところで、ホットな話題(←言い回しが古いな…)ですが7/9に南河内プラッツで「プラッと描いてみよう」というイベントをしました(このゆるいネーミングは某スタッフヤスハラさん)。パネル2枚をつなげて参加者7人の合作。結果、傑作。今月のゆうほどう表紙がそれです。このコラボレーションの醍醐味は『自分以外の人の感受性をライブで見て、聞いて、感じる』ことをシンプルにできるところです。と同時に、『自分の表現を味わってくれる人がいる』ことです。“ひとりひとり、人間って違う”(どっかのキャッチコピーみたい…)というけど、感じ方の違いを日常で意識して体感することは少ないと思います。例えば家族間、親子間、友達間、ご近所間……特に共感して生きざるを得ない間柄では……。
このコラボでは、同じ「お題」で線・形を描きます。例えば今回の大テーマは『台風』(皆で決めた)。その中で出てきた言葉、「ピカッと光る」「オキナワ」「ビューっと」とかを感じながらそれぞれに線を描く。テーマは同じなのに、色や線、形を、自分では想像もできないものを他の人が描く。そのとき、コトバにできない発見とか納得とか理解が生まれたり……(シンプル!)。これを、『最小単位の異文化交流』と呼んでいます(!)。
さておき、この『感性の世界』。色、形、音……すなわち、アート・音楽は、言葉以前の世界のものともいえます。体験することでよくわからないけど元気が出たりします。それは、シンプルで根源的つまり人の「生命」レベルの原始的な状態にコミットしているからだと。
某音楽学者がどこかでこのようなことを言っていましたが、「楽曲を理解したかったら何か楽器をやったり歌ってみたらいい」と。
『アートプラッツ』は自分の感性を理解するために「やってみる」。それを、一緒にやります。“絵”が描けなくてもOK。一緒に線を引こう、形つくってみよう、感じ続けよう、感じたことは言葉にしてみよう……この繰り返し。
『その時、自分がどう感じたのか』をしっかり捉え続けていく、これを進化させてイイもワルイも超えて正解のない「自分の感覚を信じる」ことができるようになる日。
ためらっても、不安でも、なんだかわからなくてもOK。
結果、白い紙に自分が引いた線をなんだかイイ線やな、と感じることができるまで…。
2014年7月1日
カテゴリー: スタッフエッセイ