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4月, 2016 | 淡路プラッツプラッツからのメッセージ

「イベント」の意味と可能性

石田貴裕

 今までプラッツに通ってきてくれていた若者たちの中で、この先どうやって社会に繋がり、どういう形で自立していくのかを、出会った時から予想できた若者はほとんどいません。みんないい意味で、私の予想を裏切る形でプラッツを出ていきます。「あ、意外とそっちのジャンルに行くんですねー」とか、「おぉ、そんな繋がり方もあるんですねー」など、実に様々です。もちろん、それは親ごさんにもわからなかったでしょうし、本人ですら予想だにしなかった形で旅立っていくことがほとんどでしょう。それでいいし、それがいいと思います。その時点では可能性は無限大で(本人たちは希望薄で来ることがほとんどですが)、人生何があるかわからないから面白い。だから進んでいけるんだと思います。

「こうなるよ」ってわかっていたら楽しくないし、進みたくない。反対に「どうなるかわからない、お先真っ暗」でもこれまた進めない。多くの若者たちから聞く、この“暗黒すぎて進めない”と“真っ白で広大すぎて進めない”の二極化は、彼・彼女らが抱える特徴でもあり、絶望も達観も根底では実は繋がっていて、どちらにしても動けないもどかしさ、苦しさ、怖さ、しんどさがそこにはあります。いずれにせよ、そのような不安を抱えた形でひとまずプラッツに繋がってきてくれる若者や親ごさんがたくさんいます。それを受け止め、受け入れる場所が「居場所」であり、「親の会」であり、「プラッツ」です。まぁまぁ、ボチボチまったりやろうよ。ほんで、もしやりたくなったら何かやろうか。それまでひとまずのんびりしてようよ、的な。もちろん、そこは探りだせば方法論や支援論も見え隠れするかもなのですが、それはそれとして入口がフワフワとこんな感じなので、ゆえに出口も、いい意味でフワフワと予測不能でスタートしていきます。

話は変わって、イベントについてですが、最近プラッツでは久しぶりのバンド活動が始まり、個人的にも楽しくなってきています。楽器は難しいイメージがありますが、やってみると案外「いけるねー」と出来たりします。そもそも、上手い下手は関係なく、みんなでピタッと合う瞬間があると「おぉー!」と感動するのですが、バンドに限らず、イベントにはこの「おぉー!」がたくさんあります。例えば、楽しかったり、感動だったり、発見だったり、興味深かったり、納得したりなど、何にしろ「おぉー!」と“心が揺れる瞬間”が大なり小なり出てきます。それは言い換えると、内容やタイミングによって「イベント」には、絶望や達観で固まり委縮している若者の気持ちや心を動かせる可能性があるということです。もちろん、そこには人との信頼や関わりがあってのことですが、それを経て「じゃ、やってみようかな」という瞬間があって、そこをイベントが一役買うことになります。

それはいつ?どのイベント?という話になるのですが、これが先の出口の話と同じく、予測不能というか、よくわからない部分を多く含んでいます。例えば、音楽聞くのは好きだけど演奏には興味ないように、また、食べるのは好きだけど料理は好きじゃないように、何が引っ掛かりになるのかがよくわからないことも多く、結局こればっかりは謎なのです。興味はあるけど参加しない・できないこともあれば、全然興味ない感じだったのに当日突然参加してみたりも日常茶飯事で。そこには様々な事情があるので全然OKかつ問題ナッシングなのですが、ともかく予測しきれないという事実があります。だから、数打ちゃ当たる的に、たくさんのイベントをみんなで話し合ってひとまず立ててみます。人や場の雰囲気や時期に合わせて、例えば、TVゲーム、ボードゲーム、アート、バンド、料理、お茶、カラオケ、ボーリング、ビリヤード、ソフトボール、フットサル、映画、お出かけ、旅行、などなど。今年度は日本舞踊、太極拳、ステンドグラス、そば打ち、などもやってみました。でも、目新しいからといって必ずしも参加が多いという訳でもなく、これまた読めないのですが、意外と(と言っては失礼ですが)いつも人気で参加者が多いのが「お茶」だったりします。なぜ?お抹茶が飲めるから?和の心?私には見当もつきませんが、要するにお茶に限らずイベントにおいては、参加予想は結構外れたりして毎回その連続だということです。それでも、何かのタイミングで誰かの引っ掛かりになることも大いにあり得るので、その一瞬のために色々なイベントを模索しているのです。

実際、誰がどれに参加するかは蓋を開けるまでわかりませんが、イベント体験は良くも悪くも若者たちの心を揺らし、その経験はまた次へと繋がるかけがえのない一歩になっていきます。面白かったか面白くなかったでも、しんどかったかしんどくなかったでも、もう充分かまたやりたいでも、感想は何でもいいと思います。大事なことは、想像だけではなく本当の実感がちゃんと伴ったうえで“経験して感じること”、これに尽きると思います。そして、この“経験して感じること”だけは、親も他の誰も肩代わりしてあげることができません。だからこそ、イベントを通して自分でリアルに感じること、「おぉー!」と心が揺れることを、出来るだけたくさん体験できるといいなと思います。もしかすると、絶望や達観が邪魔する部分もがあるかもしれませんが、それでもイベント体験を通じて「いいことばっかじゃないけど、悪いことばっかでもないかな」と思ってもらえる居場所でありたいと思いますし、そんな社会であって欲しいと心から願います。なんてことを思いながら、日常は“愛すべきアホらしいイベント(exラーメン梯子食い)”から“壮大なイベント(exメキシコ旅行)”までを、分け隔てなく愛でる毎日です。

結局のところ、イベントも出口も何がきっかけになるのかはわからないですし、どうやって旅立っていくのかもはっきりとはわかりません。でも、逆に言うと何でもがきっかけに成り得るということですし、だから人生は面白いと思うのです。これからもたくさんのイベントを通じて、また新しい誰かの一面に出会い、その先の一歩に関わっていくことを続けていこうと思っています。

カテゴリー: スタッフエッセイ

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