見せかけの安定期 | プラッツからのメッセージ
石田 貴裕
長期間に渡ってひきこもっているご家族の相談をお聞きする中で、いわゆる「見せかけの安定期」にある状態でのご相談があります。このワードは、いろいろな支援者がいろいろな言い回しで表現されている言葉でもあります。
「見せかけの安定期」、すなわち、ひきこもりが長期化して逆に安定してしまっている状態のことですが、詳しくいうと、時に家族とぶつかったり分かりあったり、また外部へも興味が向いたり、でもやっぱり閉じたり開いたりなど長期間の紆余曲折を経て、良くも悪くも今の親子間の状態でそれなりにバランスが取れている、いわゆる凪(なぎ)の状態が続いている時期のことを指します。専門的に言うと、なんとか期、なんとか期、を経てそこに至っていると考えられますが、その辺の分析は今回は置いておいて、ご家族の実感として「大きな動きは無いし、年齢は重ねてはいるけれど、それなりに関係性も安定しているし、何となくこのままでもいけそうだなぁ」という感覚も含みつつの相談です。とはいえ、決して余裕しゃくしゃくとしている訳ではなく、「ずっとこのままじゃいけない気が…」と何かに追い立てられるような思いと焦りと不安を抱えながらワラをも掴む思いで相談に来られます。が、実際にはなかなか動けないし、動かしにくい状況であることがほとんどです。
細かい背景は割愛しますが、そこにアプローチするということは、すなわち“水面に石を投げ込む”ことになります。せっかく穏やかに凪いでいる所にわざわざ波風を立てにいく、そのことは家族としてはたまったものじゃありません。ですから、無理やりには出来ませんが、どこかでそれを意図的に行う機会を、日常にそれを起こし得る可能性を、出来るだけ面談の中で話し合います。なぜなら、「何も起こらない日常に何かをもたらす関わり」、それもまた支援・サポートの一つの形だからです。
もちろん、その一択だけではなく「転機を待つこと」、それもまた一つの形です。例えば、本人が突然動きだした、話し出した。または、助けて欲しいと訴えてきた、感情を露わにしてきた、などなど。そういう事も“あるある”ですが、一方で押し出される形での苦渋の転機もまた“あるある”だったりします。例えば、親が定年した、収入が無くなった、引っ越すことになった、病気になった、亡くなった、本人の年齢が40歳や50歳を超えた(=親も70歳、80歳超えた)、などなど。これら突然起こった転機に対して、ピンチはチャンスと信じて関わることもまた支援・サポートです。ですから、もちろん変わらず“希望ある未来を一緒に創る”ために伴走もするのですが、もし、それも見越してもし、可能であるのならば、転機をただ待つのではなく、出来れば先もって親ごさん主導で、変わらない日常に一石を投じることで、「見せかけの安定期」を動かせる可能性を一緒に考えてみたいと思っています。
「今のままでいい。いらない何かをして今より悪い状態になる方がよっぽど怖い。」そんな言葉をよく耳にします。きっと誰にも分らない辛く苦しい思いがあってのことだと思いますし、ここはご夫婦でも意見の分かれるところでもあります。出来れば避けたい気持ちと、でも向き合うことが必要だと思う気持ちのせめぎ合いと葛藤がそこにはあります。ですので、軽々しく「では、待ちましょう」「では、動きましょう」の二択を迫ることは到底できません。でも、一方で「そうやって時間だけが過ぎてしまいました」、「そう言われて待ったけれど何も変わりませんでした」という言葉もまたよく耳にするのも事実です。
自立支援機関である以上、何とかしたい、力になりたい、とは思っていますが、そんな時に私にかけられる言葉は多くはありません。諦めている訳ではなく、投げている訳でもなく、そう思います。ただ、聞き、悩み、整理して、抜け道を探してはまた聞き話し、その繰り返しの中で出来ることを続けます。出来る限り最短距離を願って。その中で「あの時は待つことが必要でした。では、今はどうでしょう?」この言葉を投げかけることもあり、それも出来ることの一つだと思っています。思った時がスタートライン。その一歩を待ちますし、何かのきっかけでもし、その一歩が出れば全力で応援サポートします。いつがタイミングかわかりませんし、折角やり始めてみたものの“思ってたんと違う”ことだって考えられます。なので、無理強いはしません。でも、それらも全部全部話し尽くして、それでもそこから現実を少しでも動かせる支援機関でありたいと思っています。
流れとタイミングって必ずあります。振り返ると「ああ、ここだったなぁ」って流れとタイミングが必ずあって、これまでに「見せかけの安定期」を動かしてきたご家族がそれを体現してくれています。“思ってたんと違う”それも含め、とにかく今の景色を少しでも変える流れとタイミングを一緒に探したい、創りたいと思っています。景色が変わる、景色が変われば気持ちも変わるかもしれない、気持ちが変われば動かなかった今が動くかもしれません。そうやってまた新たな一歩を一緒に踏み出せることを願っています。
2018年8月31日
カテゴリー: スタッフエッセイ