スタッフエッセイ | 淡路プラッツ - パート 2プラッツからのメッセージ
見せかけの安定期
石田 貴裕
長期間に渡ってひきこもっているご家族の相談をお聞きする中で、いわゆる「見せかけの安定期」にある状態でのご相談があります。このワードは、いろいろな支援者がいろいろな言い回しで表現されている言葉でもあります。
「見せかけの安定期」、すなわち、ひきこもりが長期化して逆に安定してしまっている状態のことですが、詳しくいうと、時に家族とぶつかったり分かりあったり、また外部へも興味が向いたり、でもやっぱり閉じたり開いたりなど長期間の紆余曲折を経て、良くも悪くも今の親子間の状態でそれなりにバランスが取れている、いわゆる凪(なぎ)の状態が続いている時期のことを指します。専門的に言うと、なんとか期、なんとか期、を経てそこに至っていると考えられますが、その辺の分析は今回は置いておいて、ご家族の実感として「大きな動きは無いし、年齢は重ねてはいるけれど、それなりに関係性も安定しているし、何となくこのままでもいけそうだなぁ」という感覚も含みつつの相談です。とはいえ、決して余裕しゃくしゃくとしている訳ではなく、「ずっとこのままじゃいけない気が…」と何かに追い立てられるような思いと焦りと不安を抱えながらワラをも掴む思いで相談に来られます。が、実際にはなかなか動けないし、動かしにくい状況であることがほとんどです。
細かい背景は割愛しますが、そこにアプローチするということは、すなわち“水面に石を投げ込む”ことになります。せっかく穏やかに凪いでいる所にわざわざ波風を立てにいく、そのことは家族としてはたまったものじゃありません。ですから、無理やりには出来ませんが、どこかでそれを意図的に行う機会を、日常にそれを起こし得る可能性を、出来るだけ面談の中で話し合います。なぜなら、「何も起こらない日常に何かをもたらす関わり」、それもまた支援・サポートの一つの形だからです。
もちろん、その一択だけではなく「転機を待つこと」、それもまた一つの形です。例えば、本人が突然動きだした、話し出した。または、助けて欲しいと訴えてきた、感情を露わにしてきた、などなど。そういう事も“あるある”ですが、一方で押し出される形での苦渋の転機もまた“あるある”だったりします。例えば、親が定年した、収入が無くなった、引っ越すことになった、病気になった、亡くなった、本人の年齢が40歳や50歳を超えた(=親も70歳、80歳超えた)、などなど。これら突然起こった転機に対して、ピンチはチャンスと信じて関わることもまた支援・サポートです。ですから、もちろん変わらず“希望ある未来を一緒に創る”ために伴走もするのですが、もし、それも見越してもし、可能であるのならば、転機をただ待つのではなく、出来れば先もって親ごさん主導で、変わらない日常に一石を投じることで、「見せかけの安定期」を動かせる可能性を一緒に考えてみたいと思っています。
「今のままでいい。いらない何かをして今より悪い状態になる方がよっぽど怖い。」そんな言葉をよく耳にします。きっと誰にも分らない辛く苦しい思いがあってのことだと思いますし、ここはご夫婦でも意見の分かれるところでもあります。出来れば避けたい気持ちと、でも向き合うことが必要だと思う気持ちのせめぎ合いと葛藤がそこにはあります。ですので、軽々しく「では、待ちましょう」「では、動きましょう」の二択を迫ることは到底できません。でも、一方で「そうやって時間だけが過ぎてしまいました」、「そう言われて待ったけれど何も変わりませんでした」という言葉もまたよく耳にするのも事実です。
自立支援機関である以上、何とかしたい、力になりたい、とは思っていますが、そんな時に私にかけられる言葉は多くはありません。諦めている訳ではなく、投げている訳でもなく、そう思います。ただ、聞き、悩み、整理して、抜け道を探してはまた聞き話し、その繰り返しの中で出来ることを続けます。出来る限り最短距離を願って。その中で「あの時は待つことが必要でした。では、今はどうでしょう?」この言葉を投げかけることもあり、それも出来ることの一つだと思っています。思った時がスタートライン。その一歩を待ちますし、何かのきっかけでもし、その一歩が出れば全力で応援サポートします。いつがタイミングかわかりませんし、折角やり始めてみたものの“思ってたんと違う”ことだって考えられます。なので、無理強いはしません。でも、それらも全部全部話し尽くして、それでもそこから現実を少しでも動かせる支援機関でありたいと思っています。
流れとタイミングって必ずあります。振り返ると「ああ、ここだったなぁ」って流れとタイミングが必ずあって、これまでに「見せかけの安定期」を動かしてきたご家族がそれを体現してくれています。“思ってたんと違う”それも含め、とにかく今の景色を少しでも変える流れとタイミングを一緒に探したい、創りたいと思っています。景色が変わる、景色が変われば気持ちも変わるかもしれない、気持ちが変われば動かなかった今が動くかもしれません。そうやってまた新たな一歩を一緒に踏み出せることを願っています。
2018年8月31日
カテゴリー: スタッフエッセイ
みんな違ってみんな好い
安原 彩子
4月になり新年度が始まりました。私が担当しているサテライト旭にも、新学年になった子どもたちが通い始めます。日本では当たり前のように4月から会社や学校がスタートします。が、国が変わればスタート時期が違う。メキシコはもちろん4月スタートではありません。確か9月ごろ。新年度?そんな制度?あったかなぁ…。結局、いつスタートを切ってもいいんだなと思います。
メキシコと言えば。今年は3年ぶり?プラッツメンバー3人とスタッフ、はぐれ雲の方々他とメキシコ研修旅行へ行ってきました!(私は居残り~。)メンバーがメキシコから戻ってきて初めのナイプラは恒例タコスパーティー。メキシコへ行ったメンバーを中心にタコスを再現。サルサ(ソース)もグァカモーレ(アボガドのディップ)もメキシコ仕込みのレシピです。皆でタコスを食べ、テキーラを飲みながらメキシコ・メラケの土産話で盛り上がりました。「想像以上に楽しかった!」「いいところだった~」「日本食が恋しかった」等など。日本にいたら感じられないことを、日本を出たからこそ感じることができて、無事に帰ってきてくれました。
メキシコと言えば。「リメンバー・ミー」アナ雪と2本立て。ご覧になりましたか?私は、もちろん観に行きました。ガイコツたちと少年ミゲルの物語。ネタバレになるので多くは書きませんが、メキシコの文化、世界観がとても表現された映画です。ガイコツは死者の日(メキシコのお盆)の象徴で、とてもカラフル。死=悲しみ、恐怖のイメージとはかけ離れています。死者の日の頃になると、砂糖で作ったガイコツに名前(ホセとかマリアとか)が書いてあるお菓子が売られ始めます。オレンジ色のマリーゴールドの花を飾り、祭壇には死者の生前の写真と好きだった食べ物やお酒をお供えして故人を想う。田舎では、家族でお墓を綺麗に飾り、その周りでご飯を食べたりお酒を飲んで夜通し過ごしたりもします。(リメンバー・ミーの映画のワンシーンのように)日本をはじめ、どの国にも祖先を大切にする文化・風習はあると思いますが、メキシコは特に明るく楽しくカラフル!でも、文化・人種が違っても、表現の仕方は違っても、家族や祖先、人を大切に想う気持ちは同じだなぁと改めて思いました。
なにかとメキシコを異文化の象徴のように取り上げてしまっていますが、私も他人からすれば異文化のカタマリ。。。他の人も私からすれば異文化のカタマリ。。。家族の中でも異文化同士のカタマリ。。。居場所は異文化の博物館!!でも違いに囚われず、相手を想い、理解し合うことの大切さを、やはりメキシコ人監督の映画「シェイプ・オブ・ウォーター」を観て思うのでした。
2018年4月28日
カテゴリー: スタッフエッセイ
○をつける
藤村 泰王
面談の中で居場所や様々なことを振り返るがその中で本人達は「出来ないこと」「出来ていないこと」をよく口にし、あれもこれもといっぱい出てくることが多い。反対に「出来たこと」・「出来ていること」を聞くと途端に出てこなくなる。僕がこんなことやあんなことが出来ていたんじゃないと伝えても、「それは出来て当たり前じゃないですか」と。
これは、本人達だけでなく多くの人がそうなのかもしれないが、どうしても「出来ていないこと」がよく目に入る。特に本人達はその傾向が強い。
その割には他人の「出来ていること」にはよく気付き、ちゃんと評価することが出来ているのだけれど。
そんな時に本人達に1日1個でいいから自分に丸をつけてみて、そして、それを続けてみてと伝えることがある。丸はどんな些細なことでもいい。例えば、ご飯を食べたでも挨拶をしたでもいい。
これは僕が最初に働いた場所の先輩から出された課題で、実践し僕にとってはとても効果的だった。
当時の僕は同期で入った数人と比べ、出来ていない自分に嫌気がさし、自信を無くし、いつ仕事を辞めてやろうかと考えていた。
実践した当時は自分に丸をつけることが本当に難しかったし、1つ丸をつけるだけでどれだけ時間がかかるのかと思うほど。始めた当初は丸がつけられないのが当たり前でした。それでも続けるように言われ、毎朝、前日の丸を聞かれるため、嫌々ながら続けた思い出がある。
何が僕にとって効果的だったかというと「出来ていること」に目を向けるきっかけになり、自分を褒めることが出来るようになったこと。自分を褒めることが出来るようになると自然と自信がつくようになった。
それでも他人と比べる癖は変わらなかったけれど「出来ていないこともあるけど、出来ていることもちゃんとあるから、まー、いいか」と考えることが出来るようになり、仕事を辞めることを考え直したのを覚えている。
なので、本人達にも「出来ていること」に目を向けてほしいなと思う。「出来ていないこと」は嫌でも目に入るので考えなくてもいい。
人に認めてもらうことも大切。でも、自分で自分を認めてあげることも必要。
自分に丸をつける、効果が出るまでは時間がかかるけれど、興味がある方はぜひお試しください。
2018年2月28日
カテゴリー: スタッフエッセイ
数字と、そこにある気持ち
浅井 紀久子
いつものことですが、書いてみようと思ったことを書き出すと、妙なタイトルになりました。私は、自己紹介で「面談と居場所と講座を担当しています。」と話していますが、裏方もやっています。ざっくり言うと、経理事務的なお金の管理全般や予算書・決算書などの作成です。でも、内容は全然ざっくりしていません。(当たり前…)
正直に言うと、希望して始めたことではありません。当時の流れで、担当することになりました。最初は、とにかく“しんどい・辛い”に尽きました。特に簿記などの資格を持っているわけでもなく、「貸方?借方?何それ?」状態からだったのもあり、団体としてもさらに色々整えていた時期だったのもあり、新しく追加導入したソフトの初期設定から…みたいな。右も左も言葉もわからない。でも、様々な〆切が、次々と、淡々と、ドライに近づいてくる。とにかく間違えずに進めるしかない。でないと、迷惑かけてしまう…。「今、いったい私は何をやっているのだろう?」状態でした。しかも、当時は総務事務も兼ねていたので、てんやわんや。
そして、その時から面談も受けていました。それで余計に辛かったのかもしれません。でも、現場に入りたかったので、事務だけには、したくなかった。「事務は、専門違うし。」とか、生意気にも思ってました。
今は、前ほど“しんどい・辛い”だけではなくなりました。まぁ、期間限定で、顔が能面になったり般若になったりはしているかもしれませんが(笑)。
“多少なりとも要領よくなったから”“流れが整ってきたから”だと思いますが、やっていくうちに、視野は広がりました。怒涛のように目の前の書類に追われていた時期を経て、結果的に広げてもらいました。細かくてシビアで、苦手意識のあった数字ですが、当然、そこには関わる人や活動の動きがあります。その支流を集めると、本流が見えてきます。まだまだ未熟ですし、本当はやっぱり苦手分野なのかもしれませんが、それが見えてくることが“面白い”と感じるようにもなってきました。もちろん、面白いだけでは済まない怖さがありますが。
何より、この役割自体を、“間接支援”だと思うようになりました。現場に入る“直接支援”に対して、プラッツを団体として成り立たせて、結果的に相談に来てもらえるようにするために必要な、“間接支援”。これはどちらも大切で、どちらかだけでは成り立ちません。
私がやっている内容は、やろうと思えば誰にでもできることだし、整理されていけば、そこまで難しいことでもない。求められるのは、〆切と細かさだけ。「…これ、私がやらないとだめ?」とか思ってきましたが、少しずつ何のためにやっているのか、と考えるようになり、行きついた先がこれです。そう言い聞かせて、自分のモチベーションにしている部分もあります。単なる(面倒なだけの)雑務をやっているわけではないんだと。
まぁ、いつまでも、やりたいことだけをやれるわけではないということも学習し(笑)、しんどいことも、踏ん張ってみると、結果的に自分自身が(色々な意味で)楽になる側面もあるということも経験し、日々逞しくなって…いたらいいなぁと思っています。
そして、自分自身が悩みながら働いてきた経験や自分なりに試行錯誤してきたことを、来所される方に、適切なタイミングや様々な形で返していけたらと思っています。
2017年12月26日
カテゴリー: スタッフエッセイ
ローカルな、プラッツの、周りをぐるっと、集うみなさんの、カタチ。
宮武 小鈴
家、家、家。
昨年、メンバーや親ごさんみなさんに「家」を描いてもらった。各人が思う「家」の絵だ。5センチ四方くらいの紙にサインペンで簡単に描いてもらったのだが、これがおもしろすぎた。人によって、全くカタチが違うのだ!!!(当たり前なんやけど…)。
オーソドックスな「家」もあり、また非常に個性的な家もあり。顔みたいなもの、ファンタジーなもの、シュールなもの、高床式、これは城か?外国?シンプルイズザベスト!?……などなど。
見知った方々の表現なので、単に家の絵が集まった、ではなくて「○△さんが、描いた家」という味わい方ができる。日頃のおつきあいだけでは知り得ないキャラクターが、現われていたりして最高に面白い。
2016トートバック
昨年のこの時期は、これらの「家」を柄にしてトートバックをつくった。
まず、消しゴムハンコにして、布に押していくのだがこれが想像したより大変、一緒に押してくれたメンバーも親ごさんも、ひたすら職人のように……サンキュー。不思議なのは、個性的な家ばっかりなのに、全部押したら調和していること。プラッツ七不思議に加えてもええね。
親ごさんの中に縫製が得意な方がいらして、相談しながら全部で24枚くらい完成。プラッツフェスティバルですぐに売り切れたので、私も他スタッフも買えなかった。残念だった…!!!結果、すごい限定版となった。
2017カフェグッズ
今年は縫製含めてお手伝いくださる親ごさんが増え、「何をつくるか」から関わっていただいた。そして、ランチョンマット、コースター、お弁当袋、マルチクロス、ブックカバーなどなど、つまり“カフェグッズ”。今年の11/11(土)の大・親の会イベントで販売するので乞うご期待!!!! 昨年は、ランダムに家が配置された“柄”だったが、今年は家と家が道でつながって地図みたいになっている。「家と家が、遊歩道でつながる地図」柄だ。
やっぱり、ゆうほどう。
この機関紙も“ゆうほどう”だが、25年前にメンバーがつけた名前らしい。「あなたの家と、プラッツがつながる道」という意味で、“ゆうほどう”になったとか。こういう、プラッツに関わってくれたいろんな人の細やかな「想い」が、この居場所をつくっていってるんだなあとしみじみ思う。そして現在進行形で……。
ゆっくり、まったり、ほのぼのと。
家を描いてもらって、まだハンコにできていないものもある。描写が細かい場合は、ほぼ後回しになっている……。というわけで、また、来年に向けてぼちぼち家を増やしていこう。アナログだけどバーチャルなプラッツ周辺の地図が、出現しようとしている……!!!
2017年11月30日
カテゴリー: スタッフエッセイ
「習慣化する習慣」
石田 貴裕
困ったもんで自転車の鍵をよく無くします。現在3個目の輪っか鍵です。ズボンのポケットに入れることにしているんですが、気づくと無い。ので、左のポケットに入れる習慣を身につけるも、酔っ払って帰ってくると何故か無い。そこで、1年前から財布に入れることにしたのですが、これがなかなか習慣化しない。無意識でポケットに入れてしまっていて、スキあらば無くなりかけること数回。最近やっと自転車を降りたら無意識で財布に入れているようになりました。
いやー、習慣化するって難しいです。繰り返し繰り返しやっても、身につくまでにはなかなか時間がかかります。ですが逆に言うと、習慣化することで自然とできることが増え、なにかと円滑に進むことを実感することもしばしばなので、ここ最近の自分のプチテーマとして「習慣化する習慣を身に付ける」というのがあります。
例えば、朝ランニング。子どもの寝かせつけの都合で早めに寝落ちしてしまって、夜中に目覚めて「しまったー!」なんてことがよくありまして。それならいっそ早く寝て早く起きる習慣をつけよう、というところから始まった朝ランニング。同時期にチャリティーマラソンの話もいただいたので、今では週2回くらいは朝ランするのが習慣化しています。それはそれでいいのですが、一度習慣化すると今度はそれを崩すのが気持ち悪くて、一週間走らないと何だかソワソワと、いたたまれない心境になったりします。これも良し悪しでしょうが、私にとって朝ランニングの習慣化は、気力的にも体力的にも差し引きでプラスになっていると感じています。
そんなことを思いながら面談場面を考えてみると、親ごさんにとってもまた、声かけや日常会話や雑談を習慣化することが一つのテーマだったりします。もちろん無理にやりませんが、「何も起こらない日常に何かをもたらす関わり」が面談の一側面でもありますので、すでに習慣化された家族の関わりや文化に、一石を投じる話になることもあります。その一石が挨拶なのか、声かけなのか、雑談なのかはそれぞれの家族によって違いますが、いずれにしろ、元々ある習慣に別の習慣を入れ込むのは先にも述べたとおりとっても大変です。なので、無理なく、できることからコツコツと、という話になりますが、行きつ戻りつ取り組むことで、“気づいたら自然とできてたな~”、“いつのまにか習慣になってたな~”を一緒にこそっと目指していければいいなと思います。
今現在、私が取り組んでいる習慣は、家の鍵を閉めた後に「よし!」と指差し確認することです。これもなかなか定着せずですが、それをやらないと、自転車に乗ってから「あれ?閉めたっけ?」って結局戻ることになりますし、その5秒10秒で乗り遅れたりもするんで結構由々しき問題です。それやったら、「5分前行動を習慣化しましょう」という声が聞こえてきそうですが、まぁ、そこはご愛嬌。何でもかんでも無理にやったらイカン、と思いますし、向き不向きもあるんでは、と思います。ま、ぼちぼち折り合いつけながら取り組んでいきますので、皆さんももしよかったら取り組んでみてはいかがでしょうか。
2017年10月31日
カテゴリー: スタッフエッセイ
「一期一会のメキシコ」
安原 彩子
8月に入り、セミがミンミン。蒸し暑い~!ザ・日本の夏!夏はイヤと言うメンバーが多い中、ビールがさらにおいしい夏が私は好きです。最近は、偶然知り合ったメキシコ料理屋さんのビールジョッキの中にテキーラショットを沈めて飲むサブマリンという飲み物にハマっています。オススメです。
ハカランダが見ごろの春先、約4年ぶりにメキシコへ行ってきました。伊丹空港を出てからメキシコまで約20時間。今年就航した全日空の直行便で行っても、やはりそれくらい時間がかかります。でも、そんなに遠くても行きたいメキシコ!4年前と比べてずいぶん変化していました。新しいショッピングモールに新しいレストラン。たくさんの人でにぎわっていました。また、最近街でよく見かけるようになったのは、同性愛者カップル。メキシコは去年、ペニャニエト大統領が同性婚を合法化するための憲法改正案に署名しました。メキシコはマチズモ(男性優位主義)の国でありカトリックの国でもあり、同性愛者に差別的で同性婚に否定的な考えが根強いですが、変わろうとしています。
久しぶりにアステカ文明の遺跡、テオティワカンピラミッドに登ったり、プロレスを観に行ったり、フリーダ・カーロ美術館に行ったり、メキシコの家族や友達に会いに行ったり。あっという間のメキシコ里帰りでした。
スキスキ詐欺になるかもしれませんが、ほんとうはメキシコはそんなにスキではありませんでした。学校ではスペイン語圏の歴史を学ぶ中ででてくるスペインに征服された国の中の1つ。特に行きたかった訳でもなく、スペインはもう行ったので行ってない方にしようと選びました。行ってみて、今までの自分の価値観、興味は180度変化しました。メキシコの文化、食事、人、自然、等など。知れば知るほどスキになっていました。
自分では、いつもの場所でいつも通りの生活をして、毎日ただただ時間が過ぎていくだけで何もしていない気になります。それを安全だと思うかもしれないし、このままずっと何も変わらない。自分はいつまでたっても同じまま…。と諦めてしまうかもしれません。でも、同じ時間はひとつもなく、確実に日々変化しています。自分も周りも。
いろんなことにおいて変化が激しいメキシコでの生活は、私に一期一会を大切にすることを教えてくれたと思います。昨日見たものを次の日に買おうと思って行ってもない!「また今度。」と言ってもまた今度は二度と来ない!そんな積み重ねからですが(笑)必ず変化するからこそ、今を大切に。
そんな一期一会のメキシコへまたメンバーが行ってくれれば嬉しいです。
2017年8月31日
カテゴリー: スタッフエッセイ
「変化する」
藤村 泰王
心が変われば、態度が変わる 態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。 習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。 運命が変われば、人生が変わる。
誰の言葉なのかをインターネットで検索したけれど結局わからず。いろいろな人が引用し、言葉違いのものもたくさんあった。人格が変わるや運命が変わるというのは本当にそうかなのかはわからないが、その他のところでは共感できるところがあります。
本人が家から出て自立に向かい動き出すと親御さんの様子が変わる。初めてプラッツに来られた時はとても疲れた様子で今にもガラガラと音を立てて崩れそうだったのが、明るく快活な様子でキラキラと輝く笑顔に変わる。本人も体や表情を固くし、今にも逃げ出しそうにしていたのが、笑顔で楽しそうに話すようになる。
これらは、本人も親御さんもプラッツに行こうと決めた心の変化が面談に行くという行動の変化に変わり、面談に行き続ける習慣に変化したのだと思います。
でも、心を急に変化させるのは難しい。なので、行動から変えてみてもいいのではないでしょうか。子どもに将来のことを言わないようにしてみる、とか、誰かとしゃべってみるとか。
誰が変わるのか
行動を変えることから始めるなら、「子どもに外に出るよう説得しよう。」とか「親に将来のことを言わないよう説得しよう。」ではなく、変化するのは「私」です。このエッセイを読んで下さっている「あなた」です。
人を変化させるのはとても難しい。自分が変化するとまわりの環境も変化していくことが多々あります。自分の変化が周りに影響を与えるのだと思います。
何を変えるのか
例えば、家の家事を手伝うのでもいい、子どもの好きなことに興味を向けてみるのでもいい。「おはよう」と挨拶する習慣がなくなってしまっているのなら、その日の最初に合った時に挨拶するのでもいい。「行って来ます」、「ただいま」、「おかえり」と扉越しに声をかけるのでもいい。
大きな変化を目指すと負担になったり、自分が思った通りの反応が返ってこないと腹が立ったりする。なので、自分に大きな負担のない、簡単な変化から始めてみるのがいいと思います。
具体的に何から変化させるかは、ご家族や本人さんの状態によって違うので、個別面談でご相談していただけたらと思います。
自分を変えるのもとてもエネルギーのいることです。なので、無理をせず、出来ることから始めることが大切だと思います。それが、習慣になり、人生を変えていくのではないでしょうか。
まずは、最初の一歩から。
2017年7月31日
カテゴリー: スタッフエッセイ
決断の分岐点と、その向こう…
浅井 紀久子
いきなりですが、みなさんは、なんらかの決断を迫られたとき、どのようにして決めていますか?思い付きや直観で“こうしよう!”と決めますか?それとも、熟考に熟考を重ねて、それでも決め切らずに、考えることにも疲れてきて…の上での選択ですか?もしくは、誰かに○○と言われたから…ということも、あるかもしれません。
また、誰かに相談して決めることもあれば、誰にも相談せず、自分自身で考えて結論を出す…その時々で、色々だと思います。
もちろん、内容によって多少変わってくるとは思いますが、考え出してから決断までの一定のパターンを、わりと誰しもが持っているように感じます。ちなみに私は、相変わらず(?)相談するのは苦手かもなぁ…。みなさんは、どんなパターンですか?
また、意識しての決断と、無意識での決断(状況や流れ的に、気が付いたらこうなっていた…というような)がある気がします。
どちらにせよ、決断する時には多かれ少なかれ、“覚悟”を伴っています。覚悟したことを意識できたのは、決断した後だったという場合もありですが。やり始めたから・動き出したからには…と。
同時に、ある程度の“見通し”も、あると思います。サイコロ振って決めたのではない限り(最終手段として、それもありかも)、“こうしたら、ああなるだろう”とか。“こっちを選べば、こうなるだろうな。そのことで、こういう変化が起こるかもなぁ…”など。私の場合、そこで考えすぎるから、なかなか決断できなくなるわけなのですが。それに、大きな決断であればあるほど、見通しどおりに進んではくれない…。
どういった決断をするにせよ、その時の“覚悟”や“見通し”は、間違いではないと思います。結果は後からついてくるとも言われますし、どの時点で“結果”と言えるのかも、わからないこともあります。
ただ、後々の状況の変化や思っていたことと違いすぎた場合などには、前に覚悟したこと自体をくつがえしてでも、決断しなおさないといけないことはでてきます。そこに大きな後悔や反省が伴うこともあるだろうけれど、時間は止まってくれないので、それもある意味、一過性のもの。(もちろん、後々のためにしっかりと反省して学習して覚えておくことは必要ですが)
その、覚悟のやり直しは、意志が弱いのとは、また違っていて…。どれを選んだらどうなっていたか…は、誰にも分らないわけですしね。その不透明さが、不安や悩みの元でもあるのですが、過去の決断が合っていたか・間違っていたかは、本当のところ自分自身にしかわからないと思います。いや、それが自分でわかるのも、きっと、ずっとずっと先…。
日常は、本当に大小さまざまな決断の積み重ねだなぁと、最近改めて感じたのでした。
2017年6月17日
カテゴリー: スタッフエッセイ
アートプラッツ展望台
2017年5月31日
カテゴリー: スタッフエッセイ