スタッフエッセイ | 淡路プラッツ - パート 3プラッツからのメッセージ
パターン介入
石田 貴裕
親ごさんとの面談が継続していく中のある時点で、「パターン介入」とも言うべき瞬間が訪れることがあります。そんな言葉があるのかどうかは知りませんが、何かというと、子どもに対する親ごさんの何気ない言動や振る舞いについて一緒に立ち止まって見て共有する中で、「いつものそのパターンでいいのだろうか?」とか「このパターンも考えられるのでは?」とか「このパターンもありなのでは?」などを、おこがましくも文字どおり介入していくことを指します。
このパターン介入、いやいや実はなかなかの曲者で、「それいいですねー、じゃぁ、やってみましょう」って、そんな簡単に実行できるものでもないのです。そもそも、その家族間の親子関係が、長年かけて作ってきた習慣や関係性や家族文化ですから、そんなおいそれと新しいパターンに切り替えられるほどヤワなものでもないですし、そんな簡単でしたら「もうとっくにやってるわ」ってなもんで、意外と手強い相手だったりします。
例えば、親ごさんから「その日最初に顔を合わせた時に、挨拶をすることがもう何年もないんですよねー」みたいな話があったとします。理由としては、昔は挨拶や声かけをしてたんですが、うるさいって言われたり嫌な顔をされたりするので「無理に声かけしない方がいいのかなぁ」と思ってやめてしまってるんです、と。
また、別の例えばですが、自分(親)が口を開くと、つい注意や、「~したらアカンよ」などの“禁止”から入ってしまうんです、という話があったり。自分でもダメだとは思いつつ、何故かついそのモードに入ってしまって、そうすると子どもも“否定”をぶつけてきて、結局言い争いになってしまうというのがいつものパターンなんです、と。
あくまで例え話ですが、こういった「わかっちゃいるけどなっちゃうパターン」は誰でもどこでもよくある話です。それが良いとか悪いとかではなく、ホントよくある話なので、私自身はあって全然OKだと思っています。ただ、親ごさんのタイミングによっては、何かその物言いの後ろ側に引っかかったものを感じる時があって、そこを止まってよく聴いてみると「何かこのパターンを変えてみたいんだけどな~」と話し出す方もいらっしゃいます。その中で、「本当は自分が面倒くさくなってるんですよね…」とか、「何か違うパターンをやった時に無視されたり、反応が無かったりするとつい諦めてしまって。反応が無いことを続けるってしんどいんですよね…」と呟かれる親ごさんもいらっしゃいます。
普段は「若者本人が一番辛いよなぁ」というスタンスの私ですが、でも、やっぱり親も同じように辛いよな、しんどいよな、と切実に感じて胸が苦しくなる瞬間です。もっと劇的に状況を打開できればいいのにな、魔法の言葉があればいいのにな、っていつもいつも思います。でも、そんなものはどこにも無い。そんな都合良くはいかないってわかっています。でも、だからといって、そこに希望がない訳じゃないって思っています。なぜなら、これまで地道だけれど一歩一歩と着実に歩んでいくご家族をたくさん見せてもらってきたので。結果、それが一番近道だったんだなって感じる姿を、今までたくさん目の当たりにしてきたので。だから、始めようと思った時がスタートであって、そこに希望はちゃんとあります。あのパターンやこのパターンに少しずつ足したり引いたりを繰り返しながら、そのご家族に合ったタイミングややり方を一緒に模索していきます。上手くいくこともありますし、上手くいかないこともあります。むしろ、そっちの方が多いかもしれません。だって「いつものパターン」はやっぱり曲者で、やっぱり手強い相手ですから。それでも諦めず、出口を見据えて一歩一歩関わり続けた親ごさんの中には、「挨拶や反応が少し返ってくるようになりました」とか、「前よりは少しだけ話せるようになりました」と笑顔や苦笑いとともに話してくれる方もいらっしゃいます。たまに訪れるそんな時が、少しだけ「いつものパターン」が広がったことを共有して一緒に喜べる瞬間だったりします。
パターン介入は強制介入ではありません。ともすればただの「おせっ介入」になってしまうのかもしれません。だから、無理やり取り組む必要もありません。いつがタイミングなのかも正直よくわかりませんし、無責任な言い方ですいません。ですが、この「パターン介入」は、やってみようと思う親ごさんの背中をそっと後押しする要素は持っているかもしれません。だとすれば、もしその地道な歩みの一歩目を踏み出してみようと思い立ったのであれば、ひとまず一緒にやってみましょうって思っています。二歩目、三歩目と、その先にある“希望ある未来”を目指して。大丈夫、きっと大丈夫。一人じゃないし、ここから、これからです。出口を見据えて、もしよろしければ入口から一緒に始めましょう。
2017年4月30日
カテゴリー: スタッフエッセイ
お雑に
安原 彩子
2017年すっかり明けました。今年もよろしくお願い致します。
年末年始。皆さんそれぞれの過ごし方、感じ方があると思いますが、どう過ごされたでしょうか?私はよく食べ、よく飲み、のんびり過ごしました。私は日本のお正月が好きです。紅白も、お雑煮も、初詣も、寒くて凛とした感じも。あと、なんと言っても休みが多い!メキシコでは31日の昼まで働いて3日からまた仕事…。(会社によっては2日から。)飲んで騒いで「フェリス・アニョ・ヌエボ!!(明けましておめでとう)」と新年を迎え、二日酔いを醒ます元旦を過ごして終わるお正月。でも、クリスマスは続いているんです!カトリックのメキシコでは東方の三賢者が生まれたばかりのイエスを訪ねたといわれる1月6日までクリスマスを祝います。この日にプレゼントを渡す伝統的な家庭もあります。会社ではロスカというドーナツ型の大きなパンをみんなで切り分けて食べます。が、自分が食べた部分に小さい男の子の人形が入っていたら2月にタマーレス(トウモロコシの肉まん?)をみんなにご馳走しないといけないのでパンを選ぶのも真剣です。クリスマスは24日午後から25日まで休みですが、12月半ばから1月6日まで街中クリスマス。ツリーも飾ったままなので、クリスマスにおまけでお正月がついてくる感じ?クリスマスにお正月が合体している感じ?日本のクリスマスも良いですがメキシコのクリスマスが私は好きです。台湾やベトナムでは旧暦でお正月を盛大に祝うので1月1日は特になにもしないと聞いたり、キューバは元旦が解放記念日なのでW祝日だったり。それはそれでいいなと思います。
日本のお正月と言えば、お雑煮も大好きです。私の家のお雑煮はおすましで、ぶりやユリ根が入っていて美味しい!でも、大阪の人に聞くと白みそで大根や人参が入っていて美味しい!と。同じ日本のお正月に食べるお雑煮が関西風、関東風と違う。さらに同じ地域でも家によって違うお雑煮に無限大の可能性を感じてしまいます。
「共生社会∞」
最近は、“自分の国が1番!”ということをよく耳にしますが、1番以外はナシ(排除)っていうのは人生損をするなと思います。自分の文化、価値観を大切に相手の文化、価値観も尊重して共生する世界、社会、家庭が大切だな。と、まさに居場所はそんな共生社会。今まで自分だけ、家庭だけの文化からまったく違う文化を持ったメンバーのいる居場所に放されて過ごすうちに自分の文化を相手に強制するのではなく、それぞれの文化を持ち寄り合いながら、出したり引いたり合体させながら無限大に広がって共生文化ができてくる。それはまるでお雑に。プラッツ風。そしてそこからまた新たに遭遇する文化と共生していくことの繰り返し。そうやって人も社会も発展してきたのかなと思うと同時に、お雑煮も紆余曲折しながら進化を遂げてきたのかなと。2017年初日の居場所でのお雑煮トークで思いをはせるのでした。
2017年1月30日
カテゴリー: スタッフエッセイ
マイブーム
藤村 泰王
最近、何か新しいことをやってみようと思い、あれこれ悩み、体を動かすことに挑戦しようと居場所でメンバーと行き、楽しかったボルダリングに行ってみた。理由はそれだけでなく、東京オリンピックの種目にボルダリングが入ったと聞き、オリンピックが始まった時に「以前からボルダリングやってました」と自慢したいという邪な考えもあったのですが…。
それはさておき、ボルダリングはロッククライミングという方がわかりやすいかもしれない。命綱がいらない高さの岩や壁を自分の体のみを使って登る。野外の岩等を登る場合と室内で人工的に岩に見立てた壁を作り、そこに「ホールド」と呼ばれる様々な形や色の突起をつけ、それを使って登る場合がある。
僕は室内でボルダリングを行ったのだが、ただ登るのではなく「課題」と呼ばれる道順があり、触っていいホールドが決められている。普通に手を伸ばしただけでは手が届かない所にホールドがあったり、ホールドの形が悪く、普通に掴んでも体を支えられないようになっていたりする。そして、「課題」にはランクがあり、ランクが上がると足を乗せていいホールドまで決められ、ホールドに手をかけても指先しかかからない物まであるため、どうして登ればいいのか全く分からなくなる。
とりあえずやってみようと「課題」を簡単なものから順番に行っていくと、あるレベル以降の「課題」がまったく登れない。何度試しても無理。休憩しながら「ボルダリングは難しいし、他のことを探して始めようかな」と考えながら周りを見渡すと、他にも休憩している男性がいた。その男性は、上級の「課題」を登っている人を見ながら、手や体を動かしている。
その男性を見ていると、居場所で何を話したらいいかわからないというメンバーに対して「他の人が話しているを聞いて、どんな話をしているか知ることから始めよう」と伝えていることを思い出した。モデリングというもので、人の真似をして学習する方法。
さっきの男性は登っている人を見て「体の動かし方」を真似ていたのだ。早速、人が登っているのを見ていると、壁に対して体を正面に向けるだけでなく、横に向けて登ったりしている。僕も、登れなかった「課題」でどうしても届かないホールドに対して体を横に向けて手を伸ばすと、不思議と手が届いた。体の動かし方を変えるだけで登れなかった「課題」が次々と登れるようになった。そして、「課題」をクリアしていくたびに自信になり、自信が積み重なって、折れかけていた心がやる気を取り戻していった。数時間後にはボルダリングがマイブームに変わっていた。
ボルダリングという熱中できるものがまた一つ出来たおかげで、日々の生活に張り合いが出てきた。自分の中でいつまで続くか分からないブームだけれど楽しむだけ、楽しんでみようと思う。
2016年12月1日
カテゴリー: スタッフエッセイ
“できる”とは、なんだろう。
浅井 紀久子
例えば、会話の流れで。「趣味って何?」と聞かれると、割と返答に詰まってしまいます。それは、かなりの期間継続していることか、もしくはスキルとして人並み以上にできる…ぐらいでないと、趣味として堂々と人に言えない自分がいます。(今は、お茶を続けてはいるので、かろうじてそれを答えていますが。それ以外でと言われると、とたんに言葉に詰まります。)
でも、人には、聞きます。「何か好きなことありますか?例えば、趣味とか…」と。そんなにハードルの高いことを聞いているつもりは、ありません。きっと聞いている方は、“好きなこと、何?”ぐらいの軽い感じで聞いているのだと思います。そして、その内容もさることながら、“相手を少しでも知りたいな~”という思いから、聞いているのだと思います。でも、“趣味”といわれると、急にハードルが高くなる気がするのは、なぜでしょうか。
履歴書の、特技欄…嫌いです(笑)“特技”と言われると、ものすごく上手にできて、なおかつ失敗しないでこなせて、それに対する知識も深くてというようなことを、聞かれている気がします。そんな、絶対失敗しないことなど、ないのは頭ではわかっているのですが。
なぜこんなことを今更…と考えると、一周まわって(…よくわかりませんが、そんな気がしています)、最近、私にできることはなんだろうと考えることが、多いからだと思います。私の中で、定期的にこういう考えが強くなる時期があります。
でも、これを考え出すと、余計に自信がなくなっていきます。「あれもできない。あ、これもできていなかった…」とドツボにはまっていき…。元々、自分にとって、息をするぐらい、”さぁやるぞ!”と思わないでも行えることでないと、「できます!」と言えない性質もあり。
自信がないまま日常を過ごしていると、だんだん自分がからっぽな気になります。「できること、何もないやん…」と。そして、その日一日自分が雑談の中で発した、たわいもない言葉や対応まで、気になってくることも。あれでよかったのか。この方が(と、後で気づく)よかったのではないか…などと。
かといって、急にスキルアップするわけでもないし、経験が増えるわけでも、ましてや自信がつくわけでもない。ので、もやもやを抱えたまま、日々過ごします。そして、一日を振り返ることの、繰り返し。自信は、そう簡単にはつかないですしね。
負のスパイラルにはまろうとしている思考を、強制的にストップさせてくれるのが、私にとってはお茶のお稽古の時間だったりします。踏みとどまるための、スイッチ。私にとって、一つぐらいは必要だったりします。
最近は“やりたいことはなんだろう”と考えるようにしています。できることではなく、やりたいこと。そもそも簡単に見つかるわけではないし、やってみてもできないかもしれないという恐怖もあり。ですが、それを考えている時の方が、踏ん張れている気がします。
そして、“できていること”も、自分で見つけること。可能な限り、バランスよく自分を振り返ること。そのバランスが取れたら、もう少し次の一手が見えてくるか…?そんなことを考え、もがきながら、何かと模索しています。
2016年11月30日
カテゴリー: スタッフエッセイ
プラッツの“居場所”が出島のようにピョコっと現われるところイロイロ
宮武 小鈴
BBQ場にて…
つい最近、毎年恒例のBBQ(今年は親ごさんなし、メンバーのみ)をしにみんなで鶴見緑地へ。このイベントに関してはメンバーもスタッフもたくさん参加するのでいつもの居場所が解放的に野外に現われた図。いつものスーパーインドアなお部屋からあまりに違い過ぎてニヤリ…。BBQ卓の斜め向かいにおそらく大学生と思われる十数人の男女のチーム。初対面なのか2卓が男女でパキっと分かれており、そこが気になったがどうでもええか。こちらは昼からナイトプラッツの様相、毎年来てるせいか役割もなんとなく出来ていて基本的にチームワーク最高。そして肉!ドリンク!!また、謎に鍋料理(芋煮)を始めるメンバーもいて、「アクアパッツァ」なる料理も登場、どんどんよくわからない状態になっていくが、隣の社会人と思われる卓の人たちもこちらの鍋がどうにも気になる模様。気づいたら交流しているではないか。あぁ、サイコーだ、この“人のごった煮”感。気になる大学生男女チームも、最終的には男女混じるようになっているのが遠目で見えて、よかったよかった。
プラッツフェスティバル~会場は“鍋”なのか~
2008年2009年と開催した要するに「プラッツ祭り」。メンバー、親ごさん、関係者、OB、スタッフ…とにかくみんなで関わる祭り。当日4時間半にごちゃっといろいろイベントがあり、これ究極の「ごった煮」感。今年は会場に、何度もゆうほどう誌面に登場している「猫図書」さんにご協力いただき、おしゃれ感もオン。ぜひ皆様、このごった煮の“具材”になりに11/12はいらしてください☆コワくはないです、おそらく。まぁまぁ、そう言わんと、のぞくだけでも…☆
プラフェスでお目見え、プラッツグッズ~つながっていく景色~
来年25周年やし、オリジナルグッズとかあったらええなぁと思っていたら、「縫えるOB母」とのコラボが実現。3種類とトートと実験的にペンケースを製作します。ここで“人のごった煮感”を具現化。メンバー、親ごさん、関係者、スタッフみんなにそれぞれ「家」を描いてもらって、それがトートバックの裏地の柄になるのです(本誌の表紙参照)!さらに、表地の柄は買った人自らが好きな家をカスタマイズします(詳細は当日お楽しみ♪)。第一弾は小ロットなので、当日完売後は予約受け付けます!また、「家」の絵も随時募集中。自分の描いた家と、みんなが描いた家がつながっていく景色が、トートバックに。素敵なんじゃない?
アートプラッツはじめました。
と、こんなプラッツの“居場所感”をもうちょっと味わってもらえる人が増えたらいいな、とはじめました。「表現」をテーマにしているのでちょい、非日常感はありますが、日常と非日常がゆるやかにつながっていく場所、それが淡路プラッツの“居場所”なのであります……。
(★アートプラッツが毎日新聞の記事になりました。プラッツホームページからリンクしています)
2016年10月30日
カテゴリー: スタッフエッセイ
代表就任挨拶にかえて
石田 貴裕
年度も半ばを過ぎたところでのご報告となりましたが、この度淡路プラッツの代表となりました。この間、各スタッフとの協力・連携のもと、新事業の立ち上げや法人体制の見直し、また来年25周年に向けての構想や準備などもあり、誌面での挨拶が遅れましたことお詫び申し上げます。
現在のスタッフはそれぞれが各事業責任者や担当業務を担うなど、それぞれの強みを活かしながらチームとして全体を運営しています。そういう意味ではみんなが淡路プラッツの代表者としての自覚を持って何事にも取り組んでおり、私自身もそのチームの一員として、代表の職務を責任を持って全うしていこうと考えています。頼りない点も多々あるかと存じますが、ぼちぼち本気で頑張りますので今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。
さて、この機会に今一度NPO法人淡路プラッツの存在意義について明文化しておこうと思います。プラッツは今も昔も変わることなく、ひきこもり・ニート・不登校等の課題を抱えるご家族(若者および親ごさん)の自立支援とその啓発を行う団体です。それを実現するために、関わるご家族と一緒に“希望ある未来(自立を含む)”を創造していきます。その中心としてあるのが「居場所」であり、それを居場所支援と呼んでいます。居場所はもちろん若者の居場所であり、また親ごさんの居場所でもあり、OB・OGなどプラッツを通っていったご家族みんなの居場所です。だから、プラッツの居場所支援は同時に家族支援であり、そのご家族に寄り添う伴走型のスモールステップ支援です。一つずつ進んでは戻り、戻っては進む小さなステップアップを繰り返しながら家族と一緒に今を切り拓き、喜んだり悲しんだりもがいたりしながら、それでも希望あるその先を一緒に創り出そうと試行錯誤するのです。
もちろん、居場所支援は万能ではありません。うまくいかないこともあったり、離れていくご家族もあります。ですが、それ以上に、現状を乗り越えて希望ある未来を創り出したご家族がたくさんいます。関わる目の前で、自立へのロールモデルをたくさんのご家族が体現していきます。だから、プラッツは今も昔も変わることなく、家族を支え寄り添う「居場所」であり続けます。若者・家族が孤立しない社会を目指して。また、居場所支援を含む、包括的な支援の確立を目指して。
そして、その実現のために引き続き、人・物・お金・地域・社会・心意気・思いやり・喜怒哀楽など、巻き込めるものはみんな巻き込んでいく形で、“おせっかいな大人”をますます増やしていきたいと考えています。そうやってここまでやってこれたので、恩返しの気持ちも込めて、今までも、これからもみんなの「居場所」であるように。プラッツフェスティバルも含め、まだまだいろいろ面白いことや新しいことをやっていこうと思っていますので、今後ともご支援ご協力のほどよろしくお願い致します。
2016年9月30日
カテゴリー: スタッフエッセイ
安原 彩子
前回ゆうほどうを書いたときは、寒い季節にオススメのセリア・クルスのラテンな1曲を紹介しました。が、あっという間に季節は夏!ただただ流れていく日々を過ごしていることが多いのですが…。そんな時でも立ち止まって、自分のこととして考えることの大切さがあると思うことがあったので今回はそれを書きたいと思います。(メキシコねたは封印で・・・)
2011.3.11 14:46
今年のゴールデンウィークは、思いもかけず宮城県に行くことにしました。東北大震災の復興ボランティアです。
2011.3.11あのとき皆さんは何をしていましたか?私はまだプラッツにいませんでしたが、大阪でも多くの方が長いめまいのような揺れを感じたように私もすぐに地震だとは思わない揺れを感じたのを覚えています。
3ヶ月後の6月に私は、福島県双葉町からあの福島原発から避難されてきた方々のケアをする赤十字の
ボランティアに参加していました。原発から約100KM離れた会津若松市のホテルに最小限のものだけを持っていつ自宅に戻れるか分からないまま、このホテルに辿りつくまでに3回も移動させられた方、ここもいつまでいられるか分からないという状況の中でたくさんの方が避難されていました。
「今年は米を植えられるかなぁ。」「いつも畑仕事してたからじっとしてると体がなまるわ。」と話す高齢者の方や、「夫は第二原発で事故処理をしているのでしばらく会えないんです…。」と話される女性。「大阪からわざわざありがとう。」と大変な状況にあってもボランティアに気遣ってくださる方。いろんな感情があったと思いますが、誰に文句をいうこともなく、嘆き悲しむ姿を見せず、忍耐強くという言葉が一番当てはまるような態度で過ごされていたのが印象に残っています。
あのときから
あれから5年。津波で大きな被害がでた宮城県の閖上地区(ゆりあげ)へ行きました。
5年前、テレビで見た津波の映像。映画でも見ているようであまりにも現実離れしていて、自分のこととして想像できる範囲を超えていたあの景色が目の前にありました。
5年経って、未ださら地。「さら地にするまでも大変だったんだよ。」と話されていました。海から約1KM離れていた場所でも家がポツポツ残っているだけ。「仙台市までの通勤圏内なので住宅がいっぱいありました。」と言われても想像できないくらいに広々としたさら地の向こうに津波でまばらになってしまった防波林の松が遠くに見えるほどでした。今後の災害にも備えて土地をどのように活用して街を創って行くかという課題もあり、なかなか復興に動けないということも知りました。あの日娘さんが家にいるお婆ちゃんを見に行ったまま津波にのみ込まれたと話す方、もうここに住めないと故郷を出た方、震災前の家と震災後に建てることになった家の二重ローンを抱えた方。「復興って何ですかね。」と問う方。実際に被災しないと本当の辛さや苦しみを理解することは難しいかもしれませんが、現実を知ること、自分のこととして考えてみることで気づくことがあると思います。それは震災に限らず、戦争やテロのことひきこもりや子どもの貧困等についても同じことが言えるのではないではないかと私自身気づけた体験になりました。
2016年8月31日
カテゴリー: スタッフエッセイ
変化を見つける
藤村 泰王
今回、このエッセイを書くにあたり、あれこれ考えてみたものの、なかなか浮かばずパソコンの前に座っては諦めを続けていた。そんな中、急に、歩きながら考えてみようと思い立ち、散歩に繰り出してみた。目標を決めず、ちょっと疲れたら帰ろうと軽い気持ちで…
結果はというと、とてもいい運動になった。いや、かなり疲れた部類に入ると思います。
歩くことに集中し、疲れてしまい、当初の目的であったエッセイの内容を考えるということが全くできていない事に愕然としてしまった。歩きながらいろんな不安を感じ、歩くことに集中しすぎてしまいました。
その不安とは、まずは気温の高さ。夏の暑さが苦手な僕は、外に出た瞬間に「無理かも知れない」と感じ、散歩を諦めようかと思ったこと。
そして、目標を決めず歩いていると、どこまで歩けばいいのかわからなくなり、不安に襲われたこと。
もう一つは、普段、ほとんど運動しない中で、思った以上に遠くまで歩いてしまい、暑さに体力を奪われ、帰れるのか自信が持てなくなってしまったこと。
もちろん、ちゃんと家に帰ることはできたのですが…
なぜこんなことを書いたかというと、僕が感じた「苦手な事へ動き出す不安」、「先の見えない不安」、「自分自身への不安」。これらは、動き出そうとした本人・家族、もしくは、動き始めた本人・家族にも似た様な不安があるように思います。
決意して動き出そうとした矢先、様々な理由から一歩が踏み出せなくなってしまった、動き出したら先が見えてくると思っていたのに見えてこない、思ったように先に進めないことに不安を感じてしまう。そして、動き出せて安心と思っていたのに新たな不安が生まれてくる。これらに似たような事を本人・家族から見聞きする事がよくあるように感じます。
僕は、足踏みしたり止まってしまったりすることがあっても、おかしなことではないと思います。
そこに注目するよりも、動き出そうと決意したこと、動いてきた一歩一歩に注目することの方が大切だと思います。
なので、不安に感じた時、一歩が踏み出せなくなった時は、過去の姿と比べ、いい変化を見つけてもらえたらと思います。そうすることで、これから先も変化していくことが想像しやすくなり、不安を和らげたり、足踏みしても、ちょっと立ち止まってもいいかと思えるのではないかと思います。
このエッセイを書いている最中に、相田みつをさんの「つまづいたっていいじゃないか、にんげんだもの」がふと浮かんできました。
動いては止まり、つまづいたり、足踏みしながらでも、少しずつ前に進むことで大きな変化に変わり、それが自信になり次の一歩に繋がる。それを繰り返していくことで、確実に前に進んで行けるようになると思います。
2016年7月15日
カテゴリー: スタッフエッセイ
“あ、これ、前にもあった!”と思えると
浅井 紀久子
今年度、何年かぶりに(たぶん5年ぐらいには、なるでしょうか!?)、サテライトの事業責任者になりました。報告書作成や経理事務などの裏方としては継続して関わってきていたのですが、現場に入るのは、久しぶりです。あれやこれやと記憶を辿りながら、必死の形相で色々な書類を作成し、わいわいと楽しく通所(本体でいう居場所)で小・中学生と関わる…。何ともギャップのある日々です。
~現場とコーディネートと~
間が空くと、そうそう、これこれ!と思う瞬間と、あれ、これでよかったっけ?となる瞬間があります(主に、事務的な面で)。当然ですが、変わった部分もあります。以前頭に叩き込んだ、書類の書き方の記憶を、修正したり。思いがけず、過去の記憶が邪魔をしてきたり。むむぅ…、となっているかと思えば、子どもたちが来る時間になって、一緒に色々取り組んだりして過ごすのが、楽しい…。そして、以前は気付かなかった視点で、自然と関われている部分もあったりして。
他に違いといえば、指導員さん(大学生を中心に、学生さんが多い)との年齢差(笑)。指導員さんとお話することも、色々教えてもらえることも多くて、新鮮で楽しいです。
その他の時間で、相談員さんとも情報交換して、市担当者の方ともお話しして、一人一人の目標や方針を考えて、会議出て、事務処理して、通所のイベント考えて、研修考えて(もちろん、全て私一人ではないですが)…。あぁ、現場とコーディネートと、バランスが難しいのは相変わらずか。
~良くも悪くも経験値~
こうして思い返してみると、以前はここで焦ってたなぁ…とか、こういう時、どうしていいかわからなくて、困ってたなぁ…など、色々思い出すことがあります。今から思うと、わからないことがわかってなかった…みたいなこともあったり。今は、以前あまり気づいてなかったポイントで、戸惑ってみたり悩んでみたり。過去携わっていたとはいえ、悩みがつきることは、ありません。
ただ、確実に、過去の事が経験のベースになってるなとは、実感します。特に、動揺する率が、減った気がします。“あ、これ知ってる…”“あの時はこうしたけど、こういうこともしたら、どうだろうか…”という感覚が、とりあえず気持ちを落ち着かせてくれるというか…。気持ちが落ちつくと、少しでも冷静に判断できる部分も多いですし。サテライトから離れていた期間で、多少なりとも視野が広くなったこともあり。
それは、図太くなったといえば、そういうことかも。でも、悪いことではない気がする。
今回、久々に、同じ事業の同じ業務に戻ってきたことで、わかりやすく過去の自分と直面することになりました。穴があったら入りたい気持ちになったり、思い出して「ぎゃーっ」と言いたくなることもありますが、そういった諸々も全て糧にしながら、今年は今年のメンバーで、今年の通所をやっていこうと思います。
何事も経験…そして、その時点では無意味(というか、意味があると認識していない)なような経験も、巡り巡って自分自身を助けてくれることがあることを、改めて感じる日々です。
2016年6月30日
カテゴリー: スタッフエッセイ
“表現力の居場所” 線を引こう、一歩目のエッセンスが必要なときに…
『アートプラッツ』って、なんだかゴロがいいと思いませんか?
線を描く……実は、4~5年前から構想があったんです。もともとプラッツのいろんな場面でメンバーや関係者や、いろんな方と表現活動をさせてもらう機会がありました。プラッツの通常の居場所活動の中でも時々してたんですけど、こんな感じを切り口にもっと「表現」に焦点を当てた居場所があったらいいなと。
何もない紙に線を引いたり色をつけたりするところから、ちょっと考えたり悩んだり工夫したりしながら、誰かと過ごす居場所。小さな「無から有」をたくさん体験して味わって、共有する!なんか想像するだけで楽しい……だが抽象的……(しかもなんと地味な楽しみ……)。
面を作る……「表現」といっても音楽とか身体とか入れたら可能性は無限にあるんですが、まずは地味でオツなところからはじめます。やっぱ「線を引くこと」。その次は「光と闇」とか。「素材」もおもろい。「見る」もクセになりますよ。こんな感じで禅っぽいですけど、簡単なタイトルの時間を今年は6回くらい作りたいと思っています(ほんまはもっとやりたいが…)。
“上手い/下手” “きれい/きれいでない” “器用/不器用” なんかは全く関係ない世界です。
味わえたらいい、それだけなんですが、自分自身が引いた線を見て、味わえて、3割くらい納得できた積み重ねは、大いに自分を元気にします。
立体になる…プラッツのフィールドでするのは非常に意味があります。プラッツに関わる方はもちろんですが、居場所には来にくい方や、居場所支援にはつながりにくい方、親ごさんとか、年齢なんかも関係なく参加していただけるかな、と考えております。普段私が、中学生から80歳の方まで関わっておりますと、話題と知識は差がありましても“感覚・感性”は共感できる部分も多いと感じます。そういうところで、年齢・立場を超えて共感・共有できた体験は、これもまた知らないうちに元気のモト、自信の栄養、心のおやつになっていくようです。
閑話休題…「プラッツ」という名前をつけた人たち(当時のメンバー?)のセンスに頭が下がります。「○○プラッツ」って、何でも使えるんですよ。定例ものから単発ものまで、おおよそプラッツで遊ぶほとんどの内容に名前を付けることができます。ナイトプラッツ、カクテルプラッツ、徹夜プラッツ(なんか夜ばっかりか)、お掃除プラッツ、音楽プラッツ、……というわけで、「アートプラッツ」もその遊び心を踏襲しつつ広げてまいります。
時間ができる…というわけで、お気づきかもわかりませんが、アートプラッツは少々謎めいたコミュニケーションのエクササイズといえるかもしれません。社会参加に自己表現は根源的に必要ですが、アートプラッツが、若者にとってはその一歩一歩を、「感性」を前面に積み上げていくツールになればとおもいます。また、社会参加はしてるけどちょっと一休みの居場所も欲しい方のエンパワメントの場ともなればと、現在企画を練っているところでございます。
宮武 小鈴
2016年5月18日
カテゴリー: スタッフエッセイ