スタッフエッセイ | 淡路プラッツ - パート 4プラッツからのメッセージ
「イベント」の意味と可能性
石田貴裕
今までプラッツに通ってきてくれていた若者たちの中で、この先どうやって社会に繋がり、どういう形で自立していくのかを、出会った時から予想できた若者はほとんどいません。みんないい意味で、私の予想を裏切る形でプラッツを出ていきます。「あ、意外とそっちのジャンルに行くんですねー」とか、「おぉ、そんな繋がり方もあるんですねー」など、実に様々です。もちろん、それは親ごさんにもわからなかったでしょうし、本人ですら予想だにしなかった形で旅立っていくことがほとんどでしょう。それでいいし、それがいいと思います。その時点では可能性は無限大で(本人たちは希望薄で来ることがほとんどですが)、人生何があるかわからないから面白い。だから進んでいけるんだと思います。
「こうなるよ」ってわかっていたら楽しくないし、進みたくない。反対に「どうなるかわからない、お先真っ暗」でもこれまた進めない。多くの若者たちから聞く、この“暗黒すぎて進めない”と“真っ白で広大すぎて進めない”の二極化は、彼・彼女らが抱える特徴でもあり、絶望も達観も根底では実は繋がっていて、どちらにしても動けないもどかしさ、苦しさ、怖さ、しんどさがそこにはあります。いずれにせよ、そのような不安を抱えた形でひとまずプラッツに繋がってきてくれる若者や親ごさんがたくさんいます。それを受け止め、受け入れる場所が「居場所」であり、「親の会」であり、「プラッツ」です。まぁまぁ、ボチボチまったりやろうよ。ほんで、もしやりたくなったら何かやろうか。それまでひとまずのんびりしてようよ、的な。もちろん、そこは探りだせば方法論や支援論も見え隠れするかもなのですが、それはそれとして入口がフワフワとこんな感じなので、ゆえに出口も、いい意味でフワフワと予測不能でスタートしていきます。
話は変わって、イベントについてですが、最近プラッツでは久しぶりのバンド活動が始まり、個人的にも楽しくなってきています。楽器は難しいイメージがありますが、やってみると案外「いけるねー」と出来たりします。そもそも、上手い下手は関係なく、みんなでピタッと合う瞬間があると「おぉー!」と感動するのですが、バンドに限らず、イベントにはこの「おぉー!」がたくさんあります。例えば、楽しかったり、感動だったり、発見だったり、興味深かったり、納得したりなど、何にしろ「おぉー!」と“心が揺れる瞬間”が大なり小なり出てきます。それは言い換えると、内容やタイミングによって「イベント」には、絶望や達観で固まり委縮している若者の気持ちや心を動かせる可能性があるということです。もちろん、そこには人との信頼や関わりがあってのことですが、それを経て「じゃ、やってみようかな」という瞬間があって、そこをイベントが一役買うことになります。
それはいつ?どのイベント?という話になるのですが、これが先の出口の話と同じく、予測不能というか、よくわからない部分を多く含んでいます。例えば、音楽聞くのは好きだけど演奏には興味ないように、また、食べるのは好きだけど料理は好きじゃないように、何が引っ掛かりになるのかがよくわからないことも多く、結局こればっかりは謎なのです。興味はあるけど参加しない・できないこともあれば、全然興味ない感じだったのに当日突然参加してみたりも日常茶飯事で。そこには様々な事情があるので全然OKかつ問題ナッシングなのですが、ともかく予測しきれないという事実があります。だから、数打ちゃ当たる的に、たくさんのイベントをみんなで話し合ってひとまず立ててみます。人や場の雰囲気や時期に合わせて、例えば、TVゲーム、ボードゲーム、アート、バンド、料理、お茶、カラオケ、ボーリング、ビリヤード、ソフトボール、フットサル、映画、お出かけ、旅行、などなど。今年度は日本舞踊、太極拳、ステンドグラス、そば打ち、などもやってみました。でも、目新しいからといって必ずしも参加が多いという訳でもなく、これまた読めないのですが、意外と(と言っては失礼ですが)いつも人気で参加者が多いのが「お茶」だったりします。なぜ?お抹茶が飲めるから?和の心?私には見当もつきませんが、要するにお茶に限らずイベントにおいては、参加予想は結構外れたりして毎回その連続だということです。それでも、何かのタイミングで誰かの引っ掛かりになることも大いにあり得るので、その一瞬のために色々なイベントを模索しているのです。
実際、誰がどれに参加するかは蓋を開けるまでわかりませんが、イベント体験は良くも悪くも若者たちの心を揺らし、その経験はまた次へと繋がるかけがえのない一歩になっていきます。面白かったか面白くなかったでも、しんどかったかしんどくなかったでも、もう充分かまたやりたいでも、感想は何でもいいと思います。大事なことは、想像だけではなく本当の実感がちゃんと伴ったうえで“経験して感じること”、これに尽きると思います。そして、この“経験して感じること”だけは、親も他の誰も肩代わりしてあげることができません。だからこそ、イベントを通して自分でリアルに感じること、「おぉー!」と心が揺れることを、出来るだけたくさん体験できるといいなと思います。もしかすると、絶望や達観が邪魔する部分もがあるかもしれませんが、それでもイベント体験を通じて「いいことばっかじゃないけど、悪いことばっかでもないかな」と思ってもらえる居場所でありたいと思いますし、そんな社会であって欲しいと心から願います。なんてことを思いながら、日常は“愛すべきアホらしいイベント(exラーメン梯子食い)”から“壮大なイベント(exメキシコ旅行)”までを、分け隔てなく愛でる毎日です。
結局のところ、イベントも出口も何がきっかけになるのかはわからないですし、どうやって旅立っていくのかもはっきりとはわかりません。でも、逆に言うと何でもがきっかけに成り得るということですし、だから人生は面白いと思うのです。これからもたくさんのイベントを通じて、また新しい誰かの一面に出会い、その先の一歩に関わっていくことを続けていこうと思っています。
2016年4月30日
カテゴリー: スタッフエッセイ
La(ラ) vida(ビダ) es(エス) un(ウン) carnaval(カルナバル)
安原 彩子
「人生はカーニバル」
今年は暖冬といわれ、寒いのが苦手な私にはまだ過ごしやすい方でしたが私が好きなメキシコに比べればかなり寒い日本。冬は余計にメキシコが恋しくなります。そして、メキシコよりさらに暖かいお隣の国、キューバ。カリブ海に浮かぶキューバの音楽を聞くだけで体温も上がる?サルサ界の女王、キューバ人セリア・クルスが歌う「La vida es un Carnaval(人生はカーニバル)」は、孤独だったり、傷ついたり、つらくてココロが凍りついているようなときにもおススメです。
Ay, no hay que llorar 泣くことはないのよ
Que la vida es un carnaval 人生はカーニバル
Es mas bello vivir cantando 歌って生きる方が素敵でしょ
セリア・クルスの見た目の度迫力と歌唱力、そしてサルサのリズムに圧倒されて、私は「そうかも・・・」と、単純に思ってしまいます。(笑)
そして、「人生はカーニバル」まさに、ブラジルは今がカーニバル!普段は貧しい暮らしをしているブラジルの人たちが1年に1度、贅を尽くして着飾り、きらびやかな山車のまわりでサンバを踊りながら練り歩き、人々が熱狂するカーニバル。日本で言うなら「お祭り」にあたりますがイメージは全く違う。でも…
えらいやっちゃえらいやっちゃ ヨイヨイヨイヨイ
踊る阿呆(あほう)にみる見る阿呆
同じ阿呆なら 踊らな損損(そんそん)
・・・ブラジルと同じ血が流れているとしか思えないのは私だけでしょうか?(笑)
「人生はカーニバル=お祭り=マラソン?」
プラッツでマラソンと言えば「大阪マラソン石田さん」ですが。実は私も同じころマラソンを始めていました。
友達が初めて10キロマラソンに出るというので応援しに行ったとき、まさに私の頭の中に「同じ阿呆なら走らな損損♪♪♪」・・・流れてきました。(笑)
それから10キロマラソンに参加するようになり。しかし、42.195キロなんて絶対ムリムリムリ。とさらさら走る気になんてなりませんでした。が、ホノルルマラソンに誘われ、ハワイに行きたい!という理由で、とうとうフルマラソンに出ることになりました。
ホノルルマラソン当日。朝5時スタートに大勢の人たちはさらに早くから集まりだし、DJはハイテンションでスタートを盛り上げ、アメリカ国歌が歌われ、ついにスタートと同時に花火が上がる。まさにお祭り。
私のように初マラソンの人、何度も走っている人、伴走者と走る視覚障害の人、仮装している人、アーミー(軍隊)の人など等、老若男女みんなそれぞれにゴールを目指します。途中で歩いたり、足が痛くなって止まったり、休んだり、トイレに行ったり、くだものやおかし、ポテト、ビールをもらって食べたり飲んだり(地元の応援の人々の差し入れ)。(ある人は途中でマクドに行ったり、家でシャワーしたりする人もいるとか)とにかく42.195キロの道のりをその人のペースでその人なりに進む。
それからマラソンは長くてつらくてしんどいと思いつつ。当日は走る人も応援する人も、お祭りのようなにぎわいでワクワクするマラソンが好きになりました。あと、自分が走るようになって気付いたことがあります。それまでは私も「がんばれ~!」と応援していましたが、「もうすぐ給水所あるよ」とか「あともう少し」とか、「その調子!」とか。「がんばれ~」といわれるよりも頑張れる。
是非、騙されたと思ってセリア・クルスの歌を聞くか、マラソンしてみてください。寒い日本の冬を温かく過ごせるかもしれません。(笑)
2016年2月28日
カテゴリー: スタッフエッセイ
”余裕”
藤村 泰王
皆さま、新年あけましておめでとうございます。
この冬は、暖冬となり、例年ほど寒くない日が続いていますが、予報では急に寒くなる時期もあるとのこと、お体にはお気を付け下さい。
私事ですが、昨年の12月は一ヶ月ほど喉の痛みと咳に悩まされ、なかなかつらい一ヶ月でした。
そして、年末の休みに入り、大晦日にはやっとおさまり、よい正月を過ごすことが出来ました。
皆さんはどんなお正月を過ごされましたか?おせちを食べ、『年賀状』で旧友や親戚等の近況を知り、ゆっくり過ごされた方、突発的な出来事であわただしい正月を迎えられた方と様々な方がいらっしゃると思います。
新たな一年が始まり、気が早いですが『お花見』や『花火大会』など楽しみが待っています。しかし、これらの季節の行事や町の変化、人の変化、草花の芽吹きなどは体力的にも精神的にも余裕がないと楽しめなかったり、気づかなかったりします。
私は、年末に体調が悪いこともあり、余裕がなかったのでしょう、季節や町の変化に全く気が向かず、気づけば『クリスマス』だったり、知らない間にほぼ毎日通る空き地に家が建っていたりと驚くことが多々ありました。
でも、年末年始の間で心身ともにやっと余裕を取り戻せたように感じています。
気づかないうちに無くなってしまう余裕、これがなかなかの曲者なのです。先ほども書いたように、様々な変化に鈍感になり、イライラし出し、そして周りの全てが悪者に見えてしまう。こうなってしまうと、負の連鎖が始まり、さらに余裕がなくなっていく…。
皆さんは仕事や子育てや家のこと、様々なことに追われているうちに、趣味や好きなことを忘れがちになり、ストレスをため込んではいないでしょうか。
余裕がなくなると周りが悪者に見えてくると書いたように、人のどうでもいいことが許せなくなったり、今まで気にならなかったことが非常に気になったり、言わなくてもいいことを言ってしまったりと家族や他の人との関係にも影響してくるように感じます。
今年の抱負:意識して余裕を持つ!
以前より、意識して余裕を持つようにしていたつもりですが、昨年の年末のこともあり、余計にこのことを考えるようになりました。特に「気持ちの余裕」を持ちたいと思っています。
空を見上げたり、道端の植物に目を向けたり、その中で興味を惹かれるものが出てきたら取り合えず、自分なりに調べたり、やってみたり、そこから派生して別のものに興味がでたりと考えるとちょっとワクワクしてしまいます。なので、余裕を持って日々の生活を楽しみ、色々なことに興味を向け、挑戦できればいいなと考えています。
最後になりましたが、皆様にとってよい一年でありますようにお祈り申し上げます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
2016年1月12日
カテゴリー: スタッフエッセイ
“本が捨てられない!?”
金井 秀樹
誰の作品だったかは忘れてしまいましたが、10年以上前に読んだsf小説で、地球上の人間関係や諸現象に倦んでしまい、新しい惑星に一人で住み着いた王様(不老不死の状態だったかどうかは思い出せないのですが。)が、とうとう魂の平安の地を手に入れ喜んだと思いきや、次に永久に自分自身と向き合うしかないという、絶対的な孤独に耐えられなくなってしまいます。そして最後には、必応答可能性のある知的生命を必死に創造しようと試行錯誤する。そんな物語だったと記憶しています。当時は「万が一神さんが存在しているとしたら、寂しくなって人間を創造したんだろうナ」とか、「ナンてことだ。どれだけ人間関係から逃げたとしても、究極はこういう結果になるのか!」とか…、自分なりの解釈と勝手な納得をしたものでした。
一般的に居場所を修飾する言葉にはいくつもの連想が成立するようです。例えば、これから行く、帰るべき、癒しの、楽しい、誰かが居る、愛すべき、変化する、不変のなど・・・。個人的な感性や好みが反映する余地がたくさんありそうですが、ある程度どれも前向きな表現があう様ですね。さらに一般的な意味での居場所を、どこか具体的な場所に置き換えて連想してみると、例えば学校、職場、プラッツ、自室、友人の集まり、家族、喫茶店、スポーツクラブ、電車やバスの車中などなど。おそらく種類も意味も考え方も、人の数だけあるのかもしれません。つまり思い切って言ってしまえば、まず自分自身が「そう」思いさえすれば、「そこ」が居場所になり得る訳です。
ところで最近この本と別れようか残そうか…、最後の決断を迫られるその刹那、無作為に拾い上げた本を読むことで、今まで面白くないと思っていたものが急に面白くなることがあるものです(結局はそうやって決断を先延ばしするのですが。笑)。
その一つが自分の作った法律によって裁かれ追放された、秦の法家の商鞅(しょうおう)の話でした。法律を厳密に作り込み、そして徹底的に運用していくことで皆の幸せが実現できると考えた商鞅は、最終的に自分が逃げなくてはならなくなった時、「身分証明書がなければ勝手に宿に泊まってはならない」という、自分が作った法律に背くことで処罰の対象になってしまいます。つまり「これ(ここ)しかない/だけ」と決めつけてしまったら、人の質的・時間的な可能性や幅に対応できず、決めつけたこと自体に疎外され・裏切られていくという感じでしょうか(決して法律の否定ではございません。)。
さて、先の「王様と孤高の惑星ただひとり物語」です。「関係の濃淡に関係なく、この惑星で(coffeのコマーシャルのようだ!)必ず誰かが居る前提で生きていられること自体、最低限は自分を孤独から守ってくれているのかもしれない。」と、その後単なる読書感想が自分の中でさらに発展して、普段街ですれ違う良く知らない人々に対しても、急にありがたい気持ちが沸くようになったものでした。名付けて「存在の肯定的相互扶助の一側面」。相当飛躍はしてますが(笑)。
ところで、こういう考え方の持ち主にしてみれば、自分自身が「そう」思えば居場所な訳ですから、捉え方によっては、「自分自身の居場所はこの世界」と言ってしまってもいいのかもしれませんね。ただもちろん決めつけは良くないのです。ではまた!
2015年12月26日
カテゴリー: スタッフエッセイ
“笑いとは・・・”
安田 昌弘
年末年始はお笑いのシーズン
今年の12月、5年ぶりに漫才のM-1グランプリが復活します。「待ってました!」ということはないのですが、なんとなく楽しみにしています。それが終われば、やがて大晦日。大晦日には、もういいかなぁと思いながらも「ガキの使い・・・絶対に笑ってはいけない24時間」で年越し。今年も放送するのでしょうか、この番組。笑わずにはいられません。ほんと、「お笑い」っていいなぁ(おもろいなぁ)と思います。僕は子どもの頃から大のお笑い好きで、めちゃめちゃTVで見ていました。今でこそ若手芸人の笑いのセンスについていくのがやっとですが、できるだけチェックしながら、お笑いを追及しています。年の瀬ともなると、そんな時季が今年もやってきたなぁと思います。
とにかくおもろいしゃべりを
僕は、普段の何気ないコミュニケーション時、おしゃべりをする時は、とにかくおもろい言葉を織り交ぜると、心に誓っています(大げさ!)。関西人は二人いると会話が絶対に漫才になるというぐらいなので、僕にも子どもの頃から知らず知らずのうちに、「絶対おもろいことを言うでぇ」的なお笑い精神が宿っています。私の笑いの師匠をあげるとすれば、吉本新喜劇でしょうか。30年前当時の吉本新喜劇は本当に面白かった。現在は、少々色あせて来たものの、「乳首ドリル」ですね(ご存知でしょうか?)。ちょ~くだらない感じなのですが、あのワンパターン、かぶせにかぶせまくる、あれが吉本新喜劇の真骨頂。腹立つくらい笑ってしまいます。そして、漫才ブーム(古!!)。これも僕のお笑い魂の原点なのかなぁと思います(芸人ちゃうちゃう!!)。そんなお笑いに影響を受け、常々面白フレーズが頭の中でグルグル廻っています。
笑う門には福来る?-おもしろく在る
だから、とにかくおもしろく在る。そして、面談、居場所、そして講座などの場面でも、そのような事を意識しながら臨んでいます。面談にて、親御さんを、若者を、僕の笑いによって、悲しみ、苦しみ、悩みから解き放とうと考えているわけではありません。そんな技術があるようであれば、今すぐ欲しいです。また当然ながら、ふざけてやっているわけでもありません。悩みは一気に好転するという事はなく、行き止まり感ばかりの現実、でも日々そのような悲嘆の中にありながらも、とにかくは笑いがあるように。「笑う門には福来る」といいますが、笑うと福が舞い降りるのかどうかは僕にはわかりません。笑うことは、健康に良いとも言われていますし、ストレスの発散にもなり、心の健康にも良いでしょう。ただ、そんな格言的、効力の側面はさて置き、単純に考えてみても、笑いがある方が、会話も楽しいし、とても愉快で気持ちがいいです。本当は超ネガティブ思考の持ち主の僕ですが、笑いがどこかしらポジティブへと運んでくれているのかもしれません。
ただし、人を笑わせることは難しい。受けを狙うとド壺にはまる、リズムもガタガタ、とても笑えない(汗)。なんでそこまでして人を笑わせないといけないのか...、と、そこは、関西人のサガ...。自分のおもろい壺が、相手のおもろい壺とは限らない。笑いはボケとツッコミのハーモニー、語り手利き手双方の息が合うことが壺です。ネタを繰り、掛け合いの間を探るとコミュニケーション力も鍛えられます。なかなか、お笑いは奥が深い。みなさまも、日常の何気ないことに次から次へと『ノリツッコミ』をしながら、お過ごしになられるというのはいかがでしょうか(笑)。
2015年12月13日
カテゴリー: スタッフエッセイ
“初めまして”
浅井 紀久子
どこからともなく金木犀の香りがただよい、すっかり秋になりました。今年は“秋”がちゃんとあって、なんとなく嬉しく思っています。(確か、昨年は残暑厳しく、寒くなるのも早く、“秋”があまりなかった気が…)やっぱり、四季って、いいですね。
さて、何だか妙なタイトルなのですが、もちろん、私の初記事…ではなく、今回は、私が様々な方に“初めまして”でお会いする時の心持を書いてみようと思います。
~初対面~
まず、プラッツの面談は、初回は親御さんのみでさせていただいています。それは、親御さんにも、実際に見ていただきたいこと・直接会って話しをしていただきたいこと・そして、プラッツとしては、親御さんとの二人三脚でご本人に関わっていきたいという方針などから、そのようになっています。(もちろん他にもあると思いますが。)そして、“初めまして”は、面談のみではありません。説明会・講座・親の会…色々な形であります。
その“初めまして”を伝える瞬間の私は…もちろん緊張しています。初めての方とお会いするわけですから、何の緊張もないなんてことが、あるわけがありません。(言い切っていいのか!?)ただ、それ以上に、来所される方々のほうが、緊張や不安や猜疑心、「来たくて来たわけではない」などなど、様々な気持ちを抱えて、それでも足を運んでこられているということを思って、まずは“初めまして”の挨拶をしています。
そして、これは、ご本人が初めて来所されるときも、全く同じです。例え、その後話すことが、雑談であれ、悩みであれ…です。
~個と個として~
そして、話が進んでいくわけですが、そこでは、自分の緊張などは横に置いといて、様々なことを可能な限り、客観的にお聞きしています。今、話してくださっている内容・表現・言葉尻が、本当にその方が伝えたいことを表しているのか。本当に訴えたいことは、どこにあるのか。何が好きで、何が苦手で、何を感じているのか…。そこは、個と個として、対面する姿勢を意識しています。私自身の感情や価値観を、頭の片隅に置きつつも、あくまでもそれは、一旦置いておく。目の前にいる方の事や、その方の周りにいる方のことを、少しでも知っていきたい。単なる推測でしかないけれど、その推測だけでも、視点が変われば、今まで気づかなかったことに、気づけるかもしれない。押しつけにならないように、こちらが感じたこと・やり方一つでも、そこはお伝えする。そして、当然のこととして、知られたくないことには、踏み込まない。
一方で、環境・状況はどうなのか…。その方のリソース(そのご家族にとって、資源となるもの)は何なのか、どこにあるのか、何かプラスすると(情報提供など)、歯車がかみ合うだろうか、何とか少しでも繋ぐことができないだろうか…。
~言うまでもないことだけれど~
“初めまして”から、回数を重ねてお会いしていく場合(形態に関係なく)、このことの繰り返し・積み重ねで、深まっていきます。
よくある(心理ベースの)相談員の話…といえばそれまでなのですが、資格や肩書き関係なく、日常の中でも、誰かが誰かと出会うということは、こういうことなのだろうなぁ、そういう風に出会っていきたいなぁと、最近では思っています。
そして、私自身も、いつも心中平穏なわけではない(!?)ので、日々鍛錬と勉強をしながらですが、プロとして、そして、一個人として、成長していけたらと思っています。
2015年11月13日
カテゴリー: スタッフエッセイ
プラッツスリッパ
宮武 小鈴
プラッツに来たことのある方ならご存知とおもいますが、プラッツには「お迎えスリッパ」というものがあります。「お迎え花」のような格調高めのものではございませんが、やや暗めの玄関に何らかの、
〝はな〟を添えている…ということにしています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、今まで使ってきたものはおそらく6年以上前に制作したもののような……(えーっ!6年以上スリッパを換えてなかったんか?!)。それも驚愕だ。当時のメンバー数人で作ったときの妙なハイテンションとゆるい感じにもかかわらず、使い出してみると特定のスリッパに固定ファンがついたりと変な現象が起こった。一番人気は≪真ごころ込めて≫。記憶では老若男女問わず、ファンがいたように思う。最近では或るメンバーがMYスリッパとしてか?どうやら愛用している。≪お地蔵さん≫もファンいたな…。
そのスリッパにとうとう引退時期がやってきた。新しいスリッパにそろそろ変えようというのだ。がーん!! 個人的には、普段全く履かないにもかかわらず(履くと私はすべる)、なぜか非常に抵抗を感じる。そんなに傷んでいるのか!と思い、久々に履くとナルホド、非常に有機的だ。スリッパとは思えない柔らかさ、ビニール系素材を思わせない皮のような風合い……。まるで、人格……ではないか、スリッパ格を持っているかのようだ。よく見ると、新品にはないほどよい光沢まであるではないか……。
やはり、新作をつくることにした。あれではスリッパに風格がありすぎて、履くたびに気をつかってしまう。今回はさらに、左右の色違いもあるので日常の気分を180度転換したい人にはおすすめだ。
メンバー達は非常に感性が深く、私は心の中で〝味わい人(びと)〟と呼んでいる(カミングアウト)。「アートプラッツ」に適している人種だ。というか、遊び心の分かる人たちだ。特にスリッパには、おもしろく変な世界が必要だ。プラッツではそれは美しくなくてよく、洗練されてない方がいい(というか、建屋に合わないやん)。人間は履物を履いて、人生を歩んでいき、それは人生の方向を共にする存在だ。スリッパプラッツは、どんな方向に連れていってくれるのか……。
「味わい」「笑い」「楽しさ」でお迎えするスリッパプラッツ、皆さまのお越しをお待ちいたしております。
2015年10月27日
カテゴリー: スタッフエッセイ
石田 貴裕
自分でも知らなくて驚いたのですが、なんと僕は今年でプラッツ歴10年目を迎えています。改めて数えることもなかったので気にしてませんでしたが、ひとところに10年関わるというのはそれはそれで長い歴史な訳で、おかげでその間いろんな方々に出会ったり関わったりをさせて頂きました。もちろん、すべてが順風満帆って訳ではなかったのですが、改めて「本当によかったなぁ、自分は恵まれてるなぁ」と感動を覚えるともに、感謝の思いが沸き起こっている今日この頃です。加えて、今年で40歳を迎えるにあたり、今の心境を少し綴ってみたいと思います。
プラッツに関わったこの10年間に僕自身にもいろいろな変化がありました。今現在、2歳と5歳の子どもがいるのですが、自分が親になって子育てをしていることなんて10年前には想像もしていませんでした。30歳にしてバンド活動をしながら、月1~2本のライブや遠征をしたり、気ままな独身生活でその日暮らしを満喫していましたが、ありがたいことにプラッツはそんな生き方・働き方・不適合感を“多様性”として受け入れてくれました。やがて、結婚をし、バンドにも一区切りをつけ、NPOで働き続けることを決意し、そこから居場所での関わりだけでなく、親ごさんの面談・講座・外部や社会への啓発活動・組織の運営や経営等に役割を変化させていきました。同様に、プライベートでも子育てと共に時間の使い方が変わり(夜型から朝型へ)、家庭における役割も変わり(夫・父親)、共働きなこともあって当たり前ですが家事も子どもの世話も出来るだけ積極的に楽しみながら関わっているつもりです(足りないと言われそうですが、笑)。
今でこそ、この「人生は思った通りには進まないなぁ~感」をやっと受け入れ楽しめるようになってきましたが、当初はこの目まぐるしいジェットコースターのような日々の変化に翻弄されっぱなしでした。時期によっては精神的なバランスを崩して他人のせいにしたり、“何で自分ばっかり”とか思い込んで荒んでた時もあって、それはそれはいろんな人に迷惑もかけながら、同時にいろんな人に助けられ支えてもらいながら、何とかここまで辿り着いてるな~という実感があります。
そんな中、ある時点で自分はこういうスタッフ(支援者)になろう!と決めたことがありました。それは「“太く短く、でも完璧なスタッフ”ではなく、“細く長く、失敗してでも息ながく関われるスタッフ”であろう」というものです。これから先に待つ未来はきっと楽しいことばっかじゃないかもしれない。取りこぼしもある、失敗もある、関わる家族とうまく繋がれないこともある、関わる誰かが命を落とすことだってあるかもしれない。それでも、誰かと繋がれる存在でありたいと思うようになってきました。たとえ、落ち込んで、絶望して、諦めることがあっても、それでもまた関わっていきたい、そう思います。理由はきっと、人が好きだからでしょう。細かいことはわかりません。もちろん、一人も好きで、孤独も大好きです。でも、やっぱり人が好きだと思います。そして、そのためにも、自分の人生も大事なものにしたいと思うようになりました(あのテキトーに過ごしていた僕が、汗)。
年齢のせいなのか、子育てのせいなのか、役割のせいなのか、まぁいろいろとあるんでしょうが、「変化していく」ということ。昔は何となくビビっていたそのことを、良くも悪くも遅ればせながら受け入れ始めました。誰かのせいじゃなく自分の選択として。これから先、若者との関係性も、親ごさんとの関係性もまた、さまざま変化していくことでしょう。それって全然悪いことじゃない、そう思うようになりました。そして、これからも若者やご家族とたくさん関わらせてもらいながら、細く長く、お互いにできる範囲で共鳴したいし、共有しあいたいと心から思います。
とはいえ、誰が言ったか「不惑の四十」。僕には何ら当てはまることなく、迷い、惑い、戸惑う40歳代に突入です。本当はもっとしっかりもしたいんですが、なかなかどうして。最近の面談では、親ごさんのお話をお聞きしながら、逆に子育てのアドバイスを頂いたりなんかして、子育ての先輩方に助けられることもしばしばで(笑)。親に限らず、子に限らず、僕に限らず、みんなどっかで迷い、惑い、戸惑いながら、それでも進もうとしておられます。だからこそ、出来ることは少ないとしても、せめてその“揺らぎ”に付き合いたいと思っています。これからも、困ったときには「ヘルプ~」を言いながら助けてもらって感謝して、間違った時には「ごめん」と伝えて見直して進む。持ちつ持たれつ、その繰り返しを不器用なりに楽しんで歩んでいこうと思います。まだまだ道半ばですが、ぼちぼちご一緒にお付き合いいただければこれ幸いです。これからもよろしくお願いします。
2015年9月13日
カテゴリー: スタッフエッセイ
安原 彩子
梅雨がもうじき明け、日本の夏がやってきます。日本の夏はメキシコより暑い!意外な感じですが、メキシコシティーは標高が高い(約2300M)ので日差しは強いですが、陰に入ると涼しく、雨が降ると寒い…。砂漠にサボテンのイメージがありますが、見たことない…。そんなメキシコから日本に戻ってきて、メキシコ人と関わることは滅多にないですが外国人や外国にルーツをもつ子ども達(識字・日本語)と関わることが若者支援と関わるのとほぼ同じころにはじまりました。
居場所のカタチ
プラッツといえば、居場所。と言うくらい“居場所”という言葉をメンバーも私たちスタッフもよく使います。その「居場所」で若者と一緒に雑談したりゲームをしたり料理を作ったり。時にはお出かけや旅行もありで、さまざまな活動をさせてもらっています。年齢も性別もプラッツに至る背景も違う人たちが集まる場所。居場所に行けば、誰か居てるし何かして過ごせるかな。と思って来てくれるメンバーもいれば、面倒くさいな・・・等いろいろ思いながらも来てくれるメンバーが集まって、「居場所」で同じ時間を過ごしています。
毎週月曜日の夕方に小学生から高校生まで集まって、日本語の勉強をしたり学校の宿題をしたり、高校受験の勉強をしている場所があります。休憩時間はおしゃべりしたり、けん玉をしたり、お菓子食べたり。タイ、フィリピン、中国、ブラジル、コロンビア、ネパールなどの外国にルーツをもつ子どもたちが集まって、日本の小・中学校の教科書を勉強しています。が、それぞれの国で習ってきた方法が違う。そもそも義務教育期間が違うなど。これまたさまざまな文化と背景をもった子どもたちが同じ場所で共に時間を過ごしています。
私が日本に戻ってきてはじめての仕事は識字に関わることでした。教室には戦争で学ぶことができなかった高齢者、日本人と結婚した外国人女性、不登校だったので国語、算数を学べなかった若者など等。さまざまな人生を歩んできた人たちが、読み書き計算の学び直しをする場所。ハガキの書き方、足し算・引き算、割引の計算の仕方、時にはお金を貸してといわれたときの断り方など等、みんなで共に考え学び、時間を過ごしていました。
居るだけでいい場所
外国にルーツをもつ子どもたちが集まる場所も、識字の教室も、「居場所」と呼んではいませんが、プラッツの「居場所」と同じだなと思います。さまざまな人たちがそれぞれの理由で同じ場所で時間を共に過ごせる場所。ただ場所に人が集まるだけでは居場所として機能していません。安全で安心して居られる場所であること。もちろん多文化、多価値感な人たちが集まるのでカルチャーショックを受けることがあるかもしれません。でも、考え方が違う、文化が違う、自分はみんなと違うということを理由に排除する・されることがない。みんなちがってみんないい。居るだけでいい。と感じられる場所が「居場所」なんだということが、それぞれの場所で共通していることだと思います。そして、居るだけでいい場所にいると、人は何かをしたくなる。してみてもいいと思える。その想いに適切に応えるのが居場所に関わる人たち、支援者であることも共通していると思います。居るだけでいい場所づくりにこれからも関わっていきたいです。
2015年8月14日
カテゴリー: スタッフエッセイ
オフコース、ユウノウ!
金井 秀樹
特に目的地や会うべき人がいない旅行で、それが外国の場合、何故かいつもその国に夜9時頃から真夜中にかけて到着する便を選ぶ人がいる。その人は何を隠そう、今までの自分である(笑)。おかげで飛行機チケット代約2~5万円の差額をケチったためにこんな状況に陥るとは!ということにたくさん遭遇することになった。例えばお国柄にもよるけれど、その時間帯に乗ったタクシーの運転手と、行き先と値段を巡る闘いに不足したことがないし、実際その長い戦いの後、疲れ果てて、もう自分で宿を探して値段交渉する気力もないという状態になることも多かった。だから本来なら、朝方に空港の職員に「ドウシタ体調デモ悪イノカ」と心配されていた方がまだ良かった、と思う時も1度や2度ではなかった気がする。そうでなければ、空港の出口で屈強そうな国違いの旅人を発見して、「一緒ニ街マデ行コウ」と頼んだら、「徒歩デ行クケドイイカ」、「イヤ遠慮スル」という展開になったり…。そして何とか夜中にたどり着けた宿で朝(もしくは昼)を迎え、大変な一夜ももう過去のこと、さて切り替えてこれから出かけようかと、いざ宿の玄関へ向かうと、全く新しい景色や音や匂いや熱気などに包まれた瞬間、急に気持ちが萎えて、「えーい、面倒くさい!好きで来たけれど、そもそもなんでわざわざ来たんだろう?」と考えたりする。
面談や居場所に来るようになった、アルバイトを始めたなど、「少しづつ今までと違うパターンで動き始めた本人達」に、一定の時間を経た後、「何かきっかけがあったのか?」などについて、教えて欲しいと頼んでみることがある。すると、そのやり取りの最初の段階では、もちろん全員が同じではないけれど、「何となく」、「今までの生活に飽きた」、「同じパターンが退屈になった」と答えてくれることが多い。そして実際はもっと入組んだ複雑な事情や正反対の感情が渦巻いていて、本当は絶対に一言では説明しきれないに違いない内容を、頑張って説明してくれる。だから、「今でも曖昧なところもあるし、本当のところは分からない」と留保しながらも話してくれる本人達が、とても頼もしく感じられこともある。余談としては、やり取りの最後にこう質問が返ってくるのも面白かった。
「なんでこの仕事してるんですか?」と。
ところで、先程の旅行の話に戻ると、
それでも、気を取り直して、街を歩いたり、観光名所を巡ったりしているうちに、いつも買い物に行くお店や朝食を食べるカフェの店員さん、どの街にも必ず居る、毎日いつも同じ場所に腰掛けている不思議なお祖父さんや、外国人が珍しい子供達、中には家に招いてくれるような特別な間柄になる人々等、様々な人達との交流が始まることになる(一つの都市に長く滞在する場合)。そしてタイミングはともかく、ある程度親しくなると、皆一回は一瞬真剣な眼差しで「どうしてここに来たの?」とか「どうして旅行しているの?」と訊いてくれる。そして、その質問をする時、いつも人々のその眼光たるやどうしてあんなにも鋭いのだろうと思う。本音では、「ええと、どうしてですかね?ご期待に添えるような、そんなに核心的な応えを持っていないのです。確かに名所旧跡巡りだけではない理由が他に何かあるかもしれません。でも例え理由があったとしても、自分でもどう説明したらいいのか分かりません。」と言いたいところだけれど、そんなまわりくどく、長い説明は聞く方が迷惑だと思ってしまう。だから、自分が誰かに同じ質問をして、今まで聞いた中で1番好きな答えは、間違いなく「オフコース、ユウノウ!(もちろん君はそれを知っている!)」である(笑)。
2015年5月1日
カテゴリー: スタッフエッセイ