スタッフエッセイ | 淡路プラッツ - パート 7プラッツからのメッセージ
雑談
雑談とは?多くの若者に聞いてみたところ「わからない」とか「難しい」とか「苦手」と感じている人が圧倒的に多く、得意と答える人はまずいない。
ある若者は、仕事は出来るけど昼休みの雑談のことを考えると苦痛に感じて働けない、とさえ言う。
では、雑談は必要ないかというとほとんどの人がでもそれは必要と答える。
では、雑談とは?ためしに辞書を引いてみると天気の話やニュースの話とは書いておらず、「はっきりした目的もまとまりもない話を気楽にすること」とある。
なるほど、この「気楽に」という一言が、若者のみならず大人も含めた雑談を苦手と言う人たちのハードルを上げるキーワードになっているようだ。
プラッツの仕事とは別に若者サポートステーションのセミナーをお手伝いする機会が時々ある。
その中で僕は雑談のコーナーを担当しており、そこには毎回10人前後の若者が集まるのだが、初めて参加する彼らは気楽とはほど遠く緊張の固まりで頑張って参加し、話をする。
誰からも嫌われてはいけないというプレッシャーと戦いながら会話し、間違ってはいけないというプレッシャーも抱えながら正しいことを言おうとする。
あるいは、浮いてしまわないようにとか話題の無さが露呈しないようにと考え過ぎてあまり喋らない。
すると、会話は途切れ気まずい沈黙が流れる。いずれも気楽ではなく、その頑張りすぎるくらい頑張る姿が痛々しくもある。
そんな彼らに最初に伝えることの一つに「参加者全員が仲良くする必要はない」というのがある。
当たり前のことだが、みんな嫌われたくはないのでもちろん仲良くすることを目指す。
しかしこれ自体が「みんなと仲良く出来なければどうしよう」というプレッシャーを生み、結果的に雑談の練習どころではないという悪循環を生んでしまう。
では、彼らが目指す実際の社会はどうかというと全員が仲良しではなくいろんな人がいて、合う人と合わない人というのが必ず存在する。
しかし合わない人のことが嫌いかというとそうではなく、ただ合わないというだけだ。
仮にその人が味方じゃなかったとしても無理に敵にする必要はなく 「合わない人=敵でも味方でもない人」として社会では遣り過ごすのだが、そのことを知らない若者は意外と多い。
だから最初に先の説明とともに全員が仲良くする必要はない事を伝えると、少し雑談が気楽になる要素になるようだ。
他にも伝えることはいくつかあるが、いずれもスキルとしての概念なのでそればかりに捉われていては雑談にはならない。
そもそも正しい雑談の方法などはなく、実際は経験を重ねる中から自分で獲得していってもらうことになるのだが、練習を続ける中で自分なりのコツやスタンスを見出す若者も少なくない。
その姿を見ていると、やはり人に教えられるよりも自分で見つけた経験の方がはるかに自信になるのだということを改めて実感する。
今の自分に出来ることは雑談の方法を教えることではなく、気楽に雑談の練習が出来る場所作りと参加する若者との気楽な関係性作りだと思っている。
ゆうほどう2009年6月掲載
石田貴裕
2009年6月1日
カテゴリー: スタッフエッセイ