安原彩子 | 淡路プラッツプラッツからのメッセージ
みんな違ってみんな好い
安原 彩子
4月になり新年度が始まりました。私が担当しているサテライト旭にも、新学年になった子どもたちが通い始めます。日本では当たり前のように4月から会社や学校がスタートします。が、国が変わればスタート時期が違う。メキシコはもちろん4月スタートではありません。確か9月ごろ。新年度?そんな制度?あったかなぁ…。結局、いつスタートを切ってもいいんだなと思います。
メキシコと言えば。今年は3年ぶり?プラッツメンバー3人とスタッフ、はぐれ雲の方々他とメキシコ研修旅行へ行ってきました!(私は居残り~。)メンバーがメキシコから戻ってきて初めのナイプラは恒例タコスパーティー。メキシコへ行ったメンバーを中心にタコスを再現。サルサ(ソース)もグァカモーレ(アボガドのディップ)もメキシコ仕込みのレシピです。皆でタコスを食べ、テキーラを飲みながらメキシコ・メラケの土産話で盛り上がりました。「想像以上に楽しかった!」「いいところだった~」「日本食が恋しかった」等など。日本にいたら感じられないことを、日本を出たからこそ感じることができて、無事に帰ってきてくれました。
メキシコと言えば。「リメンバー・ミー」アナ雪と2本立て。ご覧になりましたか?私は、もちろん観に行きました。ガイコツたちと少年ミゲルの物語。ネタバレになるので多くは書きませんが、メキシコの文化、世界観がとても表現された映画です。ガイコツは死者の日(メキシコのお盆)の象徴で、とてもカラフル。死=悲しみ、恐怖のイメージとはかけ離れています。死者の日の頃になると、砂糖で作ったガイコツに名前(ホセとかマリアとか)が書いてあるお菓子が売られ始めます。オレンジ色のマリーゴールドの花を飾り、祭壇には死者の生前の写真と好きだった食べ物やお酒をお供えして故人を想う。田舎では、家族でお墓を綺麗に飾り、その周りでご飯を食べたりお酒を飲んで夜通し過ごしたりもします。(リメンバー・ミーの映画のワンシーンのように)日本をはじめ、どの国にも祖先を大切にする文化・風習はあると思いますが、メキシコは特に明るく楽しくカラフル!でも、文化・人種が違っても、表現の仕方は違っても、家族や祖先、人を大切に想う気持ちは同じだなぁと改めて思いました。
なにかとメキシコを異文化の象徴のように取り上げてしまっていますが、私も他人からすれば異文化のカタマリ。。。他の人も私からすれば異文化のカタマリ。。。家族の中でも異文化同士のカタマリ。。。居場所は異文化の博物館!!でも違いに囚われず、相手を想い、理解し合うことの大切さを、やはりメキシコ人監督の映画「シェイプ・オブ・ウォーター」を観て思うのでした。
2018年4月28日
カテゴリー: スタッフエッセイ
「一期一会のメキシコ」
安原 彩子
8月に入り、セミがミンミン。蒸し暑い~!ザ・日本の夏!夏はイヤと言うメンバーが多い中、ビールがさらにおいしい夏が私は好きです。最近は、偶然知り合ったメキシコ料理屋さんのビールジョッキの中にテキーラショットを沈めて飲むサブマリンという飲み物にハマっています。オススメです。
ハカランダが見ごろの春先、約4年ぶりにメキシコへ行ってきました。伊丹空港を出てからメキシコまで約20時間。今年就航した全日空の直行便で行っても、やはりそれくらい時間がかかります。でも、そんなに遠くても行きたいメキシコ!4年前と比べてずいぶん変化していました。新しいショッピングモールに新しいレストラン。たくさんの人でにぎわっていました。また、最近街でよく見かけるようになったのは、同性愛者カップル。メキシコは去年、ペニャニエト大統領が同性婚を合法化するための憲法改正案に署名しました。メキシコはマチズモ(男性優位主義)の国でありカトリックの国でもあり、同性愛者に差別的で同性婚に否定的な考えが根強いですが、変わろうとしています。
久しぶりにアステカ文明の遺跡、テオティワカンピラミッドに登ったり、プロレスを観に行ったり、フリーダ・カーロ美術館に行ったり、メキシコの家族や友達に会いに行ったり。あっという間のメキシコ里帰りでした。
スキスキ詐欺になるかもしれませんが、ほんとうはメキシコはそんなにスキではありませんでした。学校ではスペイン語圏の歴史を学ぶ中ででてくるスペインに征服された国の中の1つ。特に行きたかった訳でもなく、スペインはもう行ったので行ってない方にしようと選びました。行ってみて、今までの自分の価値観、興味は180度変化しました。メキシコの文化、食事、人、自然、等など。知れば知るほどスキになっていました。
自分では、いつもの場所でいつも通りの生活をして、毎日ただただ時間が過ぎていくだけで何もしていない気になります。それを安全だと思うかもしれないし、このままずっと何も変わらない。自分はいつまでたっても同じまま…。と諦めてしまうかもしれません。でも、同じ時間はひとつもなく、確実に日々変化しています。自分も周りも。
いろんなことにおいて変化が激しいメキシコでの生活は、私に一期一会を大切にすることを教えてくれたと思います。昨日見たものを次の日に買おうと思って行ってもない!「また今度。」と言ってもまた今度は二度と来ない!そんな積み重ねからですが(笑)必ず変化するからこそ、今を大切に。
そんな一期一会のメキシコへまたメンバーが行ってくれれば嬉しいです。
2017年8月31日
カテゴリー: スタッフエッセイ
お雑に
安原 彩子
2017年すっかり明けました。今年もよろしくお願い致します。
年末年始。皆さんそれぞれの過ごし方、感じ方があると思いますが、どう過ごされたでしょうか?私はよく食べ、よく飲み、のんびり過ごしました。私は日本のお正月が好きです。紅白も、お雑煮も、初詣も、寒くて凛とした感じも。あと、なんと言っても休みが多い!メキシコでは31日の昼まで働いて3日からまた仕事…。(会社によっては2日から。)飲んで騒いで「フェリス・アニョ・ヌエボ!!(明けましておめでとう)」と新年を迎え、二日酔いを醒ます元旦を過ごして終わるお正月。でも、クリスマスは続いているんです!カトリックのメキシコでは東方の三賢者が生まれたばかりのイエスを訪ねたといわれる1月6日までクリスマスを祝います。この日にプレゼントを渡す伝統的な家庭もあります。会社ではロスカというドーナツ型の大きなパンをみんなで切り分けて食べます。が、自分が食べた部分に小さい男の子の人形が入っていたら2月にタマーレス(トウモロコシの肉まん?)をみんなにご馳走しないといけないのでパンを選ぶのも真剣です。クリスマスは24日午後から25日まで休みですが、12月半ばから1月6日まで街中クリスマス。ツリーも飾ったままなので、クリスマスにおまけでお正月がついてくる感じ?クリスマスにお正月が合体している感じ?日本のクリスマスも良いですがメキシコのクリスマスが私は好きです。台湾やベトナムでは旧暦でお正月を盛大に祝うので1月1日は特になにもしないと聞いたり、キューバは元旦が解放記念日なのでW祝日だったり。それはそれでいいなと思います。
日本のお正月と言えば、お雑煮も大好きです。私の家のお雑煮はおすましで、ぶりやユリ根が入っていて美味しい!でも、大阪の人に聞くと白みそで大根や人参が入っていて美味しい!と。同じ日本のお正月に食べるお雑煮が関西風、関東風と違う。さらに同じ地域でも家によって違うお雑煮に無限大の可能性を感じてしまいます。
「共生社会∞」
最近は、“自分の国が1番!”ということをよく耳にしますが、1番以外はナシ(排除)っていうのは人生損をするなと思います。自分の文化、価値観を大切に相手の文化、価値観も尊重して共生する世界、社会、家庭が大切だな。と、まさに居場所はそんな共生社会。今まで自分だけ、家庭だけの文化からまったく違う文化を持ったメンバーのいる居場所に放されて過ごすうちに自分の文化を相手に強制するのではなく、それぞれの文化を持ち寄り合いながら、出したり引いたり合体させながら無限大に広がって共生文化ができてくる。それはまるでお雑に。プラッツ風。そしてそこからまた新たに遭遇する文化と共生していくことの繰り返し。そうやって人も社会も発展してきたのかなと思うと同時に、お雑煮も紆余曲折しながら進化を遂げてきたのかなと。2017年初日の居場所でのお雑煮トークで思いをはせるのでした。
2017年1月30日
カテゴリー: スタッフエッセイ
安原 彩子
前回ゆうほどうを書いたときは、寒い季節にオススメのセリア・クルスのラテンな1曲を紹介しました。が、あっという間に季節は夏!ただただ流れていく日々を過ごしていることが多いのですが…。そんな時でも立ち止まって、自分のこととして考えることの大切さがあると思うことがあったので今回はそれを書きたいと思います。(メキシコねたは封印で・・・)
2011.3.11 14:46
今年のゴールデンウィークは、思いもかけず宮城県に行くことにしました。東北大震災の復興ボランティアです。
2011.3.11あのとき皆さんは何をしていましたか?私はまだプラッツにいませんでしたが、大阪でも多くの方が長いめまいのような揺れを感じたように私もすぐに地震だとは思わない揺れを感じたのを覚えています。
3ヶ月後の6月に私は、福島県双葉町からあの福島原発から避難されてきた方々のケアをする赤十字の
ボランティアに参加していました。原発から約100KM離れた会津若松市のホテルに最小限のものだけを持っていつ自宅に戻れるか分からないまま、このホテルに辿りつくまでに3回も移動させられた方、ここもいつまでいられるか分からないという状況の中でたくさんの方が避難されていました。
「今年は米を植えられるかなぁ。」「いつも畑仕事してたからじっとしてると体がなまるわ。」と話す高齢者の方や、「夫は第二原発で事故処理をしているのでしばらく会えないんです…。」と話される女性。「大阪からわざわざありがとう。」と大変な状況にあってもボランティアに気遣ってくださる方。いろんな感情があったと思いますが、誰に文句をいうこともなく、嘆き悲しむ姿を見せず、忍耐強くという言葉が一番当てはまるような態度で過ごされていたのが印象に残っています。
あのときから
あれから5年。津波で大きな被害がでた宮城県の閖上地区(ゆりあげ)へ行きました。
5年前、テレビで見た津波の映像。映画でも見ているようであまりにも現実離れしていて、自分のこととして想像できる範囲を超えていたあの景色が目の前にありました。
5年経って、未ださら地。「さら地にするまでも大変だったんだよ。」と話されていました。海から約1KM離れていた場所でも家がポツポツ残っているだけ。「仙台市までの通勤圏内なので住宅がいっぱいありました。」と言われても想像できないくらいに広々としたさら地の向こうに津波でまばらになってしまった防波林の松が遠くに見えるほどでした。今後の災害にも備えて土地をどのように活用して街を創って行くかという課題もあり、なかなか復興に動けないということも知りました。あの日娘さんが家にいるお婆ちゃんを見に行ったまま津波にのみ込まれたと話す方、もうここに住めないと故郷を出た方、震災前の家と震災後に建てることになった家の二重ローンを抱えた方。「復興って何ですかね。」と問う方。実際に被災しないと本当の辛さや苦しみを理解することは難しいかもしれませんが、現実を知ること、自分のこととして考えてみることで気づくことがあると思います。それは震災に限らず、戦争やテロのことひきこもりや子どもの貧困等についても同じことが言えるのではないではないかと私自身気づけた体験になりました。
2016年8月31日
カテゴリー: スタッフエッセイ
La(ラ) vida(ビダ) es(エス) un(ウン) carnaval(カルナバル)
安原 彩子
「人生はカーニバル」
今年は暖冬といわれ、寒いのが苦手な私にはまだ過ごしやすい方でしたが私が好きなメキシコに比べればかなり寒い日本。冬は余計にメキシコが恋しくなります。そして、メキシコよりさらに暖かいお隣の国、キューバ。カリブ海に浮かぶキューバの音楽を聞くだけで体温も上がる?サルサ界の女王、キューバ人セリア・クルスが歌う「La vida es un Carnaval(人生はカーニバル)」は、孤独だったり、傷ついたり、つらくてココロが凍りついているようなときにもおススメです。
Ay, no hay que llorar 泣くことはないのよ
Que la vida es un carnaval 人生はカーニバル
Es mas bello vivir cantando 歌って生きる方が素敵でしょ
セリア・クルスの見た目の度迫力と歌唱力、そしてサルサのリズムに圧倒されて、私は「そうかも・・・」と、単純に思ってしまいます。(笑)
そして、「人生はカーニバル」まさに、ブラジルは今がカーニバル!普段は貧しい暮らしをしているブラジルの人たちが1年に1度、贅を尽くして着飾り、きらびやかな山車のまわりでサンバを踊りながら練り歩き、人々が熱狂するカーニバル。日本で言うなら「お祭り」にあたりますがイメージは全く違う。でも…
えらいやっちゃえらいやっちゃ ヨイヨイヨイヨイ
踊る阿呆(あほう)にみる見る阿呆
同じ阿呆なら 踊らな損損(そんそん)
・・・ブラジルと同じ血が流れているとしか思えないのは私だけでしょうか?(笑)
「人生はカーニバル=お祭り=マラソン?」
プラッツでマラソンと言えば「大阪マラソン石田さん」ですが。実は私も同じころマラソンを始めていました。
友達が初めて10キロマラソンに出るというので応援しに行ったとき、まさに私の頭の中に「同じ阿呆なら走らな損損♪♪♪」・・・流れてきました。(笑)
それから10キロマラソンに参加するようになり。しかし、42.195キロなんて絶対ムリムリムリ。とさらさら走る気になんてなりませんでした。が、ホノルルマラソンに誘われ、ハワイに行きたい!という理由で、とうとうフルマラソンに出ることになりました。
ホノルルマラソン当日。朝5時スタートに大勢の人たちはさらに早くから集まりだし、DJはハイテンションでスタートを盛り上げ、アメリカ国歌が歌われ、ついにスタートと同時に花火が上がる。まさにお祭り。
私のように初マラソンの人、何度も走っている人、伴走者と走る視覚障害の人、仮装している人、アーミー(軍隊)の人など等、老若男女みんなそれぞれにゴールを目指します。途中で歩いたり、足が痛くなって止まったり、休んだり、トイレに行ったり、くだものやおかし、ポテト、ビールをもらって食べたり飲んだり(地元の応援の人々の差し入れ)。(ある人は途中でマクドに行ったり、家でシャワーしたりする人もいるとか)とにかく42.195キロの道のりをその人のペースでその人なりに進む。
それからマラソンは長くてつらくてしんどいと思いつつ。当日は走る人も応援する人も、お祭りのようなにぎわいでワクワクするマラソンが好きになりました。あと、自分が走るようになって気付いたことがあります。それまでは私も「がんばれ~!」と応援していましたが、「もうすぐ給水所あるよ」とか「あともう少し」とか、「その調子!」とか。「がんばれ~」といわれるよりも頑張れる。
是非、騙されたと思ってセリア・クルスの歌を聞くか、マラソンしてみてください。寒い日本の冬を温かく過ごせるかもしれません。(笑)
2016年2月28日
カテゴリー: スタッフエッセイ
安原 彩子
梅雨がもうじき明け、日本の夏がやってきます。日本の夏はメキシコより暑い!意外な感じですが、メキシコシティーは標高が高い(約2300M)ので日差しは強いですが、陰に入ると涼しく、雨が降ると寒い…。砂漠にサボテンのイメージがありますが、見たことない…。そんなメキシコから日本に戻ってきて、メキシコ人と関わることは滅多にないですが外国人や外国にルーツをもつ子ども達(識字・日本語)と関わることが若者支援と関わるのとほぼ同じころにはじまりました。
居場所のカタチ
プラッツといえば、居場所。と言うくらい“居場所”という言葉をメンバーも私たちスタッフもよく使います。その「居場所」で若者と一緒に雑談したりゲームをしたり料理を作ったり。時にはお出かけや旅行もありで、さまざまな活動をさせてもらっています。年齢も性別もプラッツに至る背景も違う人たちが集まる場所。居場所に行けば、誰か居てるし何かして過ごせるかな。と思って来てくれるメンバーもいれば、面倒くさいな・・・等いろいろ思いながらも来てくれるメンバーが集まって、「居場所」で同じ時間を過ごしています。
毎週月曜日の夕方に小学生から高校生まで集まって、日本語の勉強をしたり学校の宿題をしたり、高校受験の勉強をしている場所があります。休憩時間はおしゃべりしたり、けん玉をしたり、お菓子食べたり。タイ、フィリピン、中国、ブラジル、コロンビア、ネパールなどの外国にルーツをもつ子どもたちが集まって、日本の小・中学校の教科書を勉強しています。が、それぞれの国で習ってきた方法が違う。そもそも義務教育期間が違うなど。これまたさまざまな文化と背景をもった子どもたちが同じ場所で共に時間を過ごしています。
私が日本に戻ってきてはじめての仕事は識字に関わることでした。教室には戦争で学ぶことができなかった高齢者、日本人と結婚した外国人女性、不登校だったので国語、算数を学べなかった若者など等。さまざまな人生を歩んできた人たちが、読み書き計算の学び直しをする場所。ハガキの書き方、足し算・引き算、割引の計算の仕方、時にはお金を貸してといわれたときの断り方など等、みんなで共に考え学び、時間を過ごしていました。
居るだけでいい場所
外国にルーツをもつ子どもたちが集まる場所も、識字の教室も、「居場所」と呼んではいませんが、プラッツの「居場所」と同じだなと思います。さまざまな人たちがそれぞれの理由で同じ場所で時間を共に過ごせる場所。ただ場所に人が集まるだけでは居場所として機能していません。安全で安心して居られる場所であること。もちろん多文化、多価値感な人たちが集まるのでカルチャーショックを受けることがあるかもしれません。でも、考え方が違う、文化が違う、自分はみんなと違うということを理由に排除する・されることがない。みんなちがってみんないい。居るだけでいい。と感じられる場所が「居場所」なんだということが、それぞれの場所で共通していることだと思います。そして、居るだけでいい場所にいると、人は何かをしたくなる。してみてもいいと思える。その想いに適切に応えるのが居場所に関わる人たち、支援者であることも共通していると思います。居るだけでいい場所づくりにこれからも関わっていきたいです。
2015年8月14日
カテゴリー: スタッフエッセイ
NOと言わないメキシコ人
安原 彩子
12月のメキシコは街中がクリスマスの飾りでにぎわい、さすがカトリックの国だけあって約1か月かけてキリストの誕生を祝います。4月はハカランダが歩道を紫色に染めますが、12月は真っ赤なポインセチア(メキシコ原産!)がクリスマスを盛り上げます。クリスマスと対照的に、お正月を日本のように祝うこともなく、あっさり次の1年がスタートします。前回書かせていただいた「メキシコ=私の居場所」。今でこそ私の居場所と思えるメキシコは、始めは何ともオソロシー国でした。
Noと言わないメキシコ人
日本の面積約5倍の広さをもつメキシコ。首都のメキシコシティーはごちゃごちゃしていて人やモノが密集していて狭いようで、やはり広い。土地勘もない外国人の私は、道に迷う度に街を歩くメキシコ人に道を尋ねることがよくありました。「Todo derecho(ずっとまっすぐ)」、「Esquina a la mano derecha(その角を右)」と教えてもらったとおりに行っても…ん?着かない…?挙句の果てに歩いてきた逆の方向を言われたり…。今までメキシコ人に道を聞いて、「No se(ちょっとわかりません…)」「No conozco por aqui(ここら辺は知らないので…)」と言われたことはほとんどなく。オソロシーほど親切に答えてくれますが、無事に目的地へ着けたこともほとんどありませんでした…。親切なメキシコ人の言うことを半分信じてはまた別のメキシコ人に尋ねては自分で判断して進む。ということを繰り返しながら、最小限の誤差で目的地に辿り着く技を身につけました。メキシコではその他いろんなことも同様に、一歩進んでは三歩ほど下がることを繰り返しては自分で折合をつけながら進んでいく大切さを教えてもらいました。
メキシカン・ジョーク
メキシコでは家族や友達が集まって誕生日やクリスマスを祝ったり、特に何もない土曜日でも昼間からみんなで集まってご飯を食べたり飲んだりして過ごします。私も飲むことは大好きなので、サッカーを見たりドラマを見たりしながらメキシコ人といろいろ話して過ごすのは楽しい時間です。ビールやテキーラをいくら飲んでも酔わないメキシコ人が、いい感じにできあがってきた時に始まるのがメキシカン・ジョーク大会!みんな我こそはと、チステ(メキシカン・ジョーク)を言い始めます。が、オソロシーほど面白くない…。分からない。時事ネタから下ネタまで。子どもも大人も一緒に笑ってる。“全然笑えへんし…早く終わって…”と思っているのは私だけで、メキシコ人は私に構わず説明されても面白くないチステを繰り返し、さらに、「ジャパニーズ・チステ教えて」と、むちゃ振りしてくる…。そんなメキシコ人との飲み会を重ねていくうちに、「とりあえず、居てもいいか。」と思えるようになっていきました。チステはわからなくてもメキシコ人はオモシロイ。チステはわからなくても一緒に飲みたいと思える。同じ時間を共有する大切さを教わりました。
何ともオソロシー、楽しいことばかりじゃないのが「メキシコ=私の居場所」。イヤなことたくさん、面白いこともっとたくさん経験してメキシコが私の居場所になりました。安田が以前のスタッフエッセイ(ゆうほどう245号 表紙が仏像の号に掲載)にネガティブとポジティブのことを書いていましたが、まさに、メキシコは超ネガティブからの超ポジティブ変換国!そうすることで独自の文化や風習を創造してきたすばらしい国だと思います。
Noと言わないメキシコ人やチステを強要するメキシコ人ばかりではないので、是非、機会があれば一度メキシコの超ポジティブ変換を体験してみてください。
2014年12月1日
カテゴリー: スタッフエッセイ
メキシコ
今年もきれいなサクラが満開に咲きました。街がピンク色に染まる4月は、「日本の春だなぁ。」としみじみ感じながら、花よりだんごでお花見をするのが楽しみです。
そして、「今ごろハカランダもきれいに咲いてるかな。」と私が思いを馳せる国があります。それは日本から約12000キロ離れた国、メキシコです。メキシコでサクラと同じように春を感じさせてくれる花がハカランダと呼ばれる紫色の花で、3月から5月は街中にハカランダが満開に咲き、花が散ると道は紫色の絨毯が敷かれたようでとてもきれいです。ただ、メキシコでは日本のように道や公園でお酒を飲むことは違法になるので、お花見はできません(笑)
プラッツの「濃イイ」他のスタッフ同様に、私の経歴もオリジナルだと思うので、自己紹介しながら私の若者支援とメキシコつながり?を書きたいと思います。
私と淡路プラッツの共通点がメキシコと言うことも、不思議なご縁を感じますが、大学でスペイン語を学んだ後、私は旅行会社に就職しました。
しかし、勤務地はメキシコ。日本の会社なのでお客さまは日本人、でも一緒に働くスタッフはメキシコ人。
初めて社会人として働く大変さと、異文化で働く大変さで、1日があっという間でした。
「今日中にこれだけはお願い!」と言っても、5時ピッタリに帰っていくメキシコ人。
金曜日の午後はいつものバーで馴染みの客と飲んでるメキシコ人。
社員旅行は家族、親戚連れで参加するメキシコ人。
母の日は仕事半日で午後は家族で過ごすメキシコ人。
すぐに使い切らないように月2回に分けて支払われるお給料。
そんな国でそんな人達と一緒に働くことに、始めはイライラしたりストレスを感じていました。
でも、彼らと過ごしているうちに、貧困や暴力の絶えない厳しい現実社会にいても、生きるために働き、よく笑い、楽しんでいる。
すごく人間らしい生き方をしていることに気が付きました。
また、私が“フツーそれないわ”と思うことは多々あっても、メキシコが私に“フツー”を押付けることはありませんでした。
一人の人間として、どう考え、何をしたいのか。その応えを否定することもありませんでした。
私はメキシコに行くと、とても安心します。
周りの人達が、「治安、大丈夫?」「麻薬蔓延してるんちゃうん?」と言うように、メキシコ危ないです(笑)。
でも、いつも私を受け容れ、否定することなく尊重してくれる。私が安心して自分でいられる居場所です。
そんなメキシコでの経験が、若者支援や居場所での私の在り方に大きな影響を与えていると思います。
去年、久しぶりにメキシコに行くと、タクシー強盗によく遭うワーゲンタクシーは全て4ドア車に義務付けされていたり、標高2300メートルのメキシコシティーでマラソンブームだったり、日本のアニメ・ゲーム好きが集まるビルがダウンタウンにできていたり、時の流れを感じましたが、メキシコは変わらず私の居場所でした。
メキシコOL時代?から日本人学校、識字学習、若者の就労支援等の経験を経て淡路プラッツに至りますが、最後に淡路プラッツとメキシコ。
メキシコ人でもそこどこ?というくらい小さな村メラケに、若者支援を応援してくれているゴローさんがいます。
プラッツとゴローさんの関係は蓮井さん時代にまでさかのぼり、そして富山のはぐれ雲までつながる壮大な話になるので、新人はここまでにしたいと思います。が、是非、機会があればメキシコを訪れてみてください。
和食よりも先に世界無形文化遺産に登録された、メキシコ料理もおススメです。
ありがとうございました。
安原彩子
2014年5月1日
カテゴリー: スタッフエッセイ