宮武小鈴 | 淡路プラッツプラッツからのメッセージ
「テシゴトプラッツ~「手」を動かすと、“イイこと”がある。」
宮武 小鈴
新しい「ないプラ」
昨日は、金曜夜恒例の“ナイプラ”が2階で行われている上階で、別の「ないプラ」を開催していました。恒例は「ナイトプラッツ」という夜時間を飲食しながらまったり過ごす取り組みですが、新しい「ないプラ」は鬼気迫るものがあります。それは「内職プラッツ」。なぜ鬼気迫るのか……それはつまり、納期が迫っていたのです。
東京のHARMONIKさんというところが子どもの遊び場用のアイテムを企画していて、その作成を請け負っています。今回は、造花(これも手作り)を入れる「花束ケース」で材料は布とサテンリボン。裁断、ミシン、手縫い、といった工程があり、その中でとてもおもしろいことが起こっているので、それを今日はみなさんにお伝えしようとおもいます。
バーストモード
内職の良いところは「納期」です。若者にとっては、これだけでも社会とつながっていることをおおいに実感できます。「納期」に向かって、「逆算してスケジュールを考える」「実行したけどスケジュールどおりにいかない」「作業の失敗と復活」など、素敵なエッセンスが満載。そして究極は「作業効率を上げるための工夫」ができること。手仕事なので自分のボディを使うしかない、その結果「バーストモード」がやってきます。これは“ゲーム”の中で、パワーがある一定のところまで溜まったら必殺技が使える、というものです。内職では“ちょっとした工夫”を連続することでやってきます。その結果、ひとつ8分かかってた作業が2分になり、×100個するとものすごい時間差が出てきます。しかしこれを得るには、悟空に甲羅を背負わせた亀仙人ではないですが「締切り仙人」からの無言の圧力に立ち向かえるという強さが少々必要なのです。ですのでプラッツの居場所メンバーの中でも、遊びきったのちある程度社会参加を意識できるようになった段階の人に向いています。
ボランティアさん募集
手縫いが大好きな方、「ないプラ」のボランティアをしませんか?工賃は「ないプラ」に参加している若者への寄付になります。ご興味のある方はプラッツまでどしどしお電話かメールでお問い合わせください!
内職だけじゃない
テシゴトプラッツは内職だけでなく、プラッツらしい手仕事品の企画販売をしようとしています。近いところでは10/27のSabo Platzに登場。食べほメニュー(¥2,000)にオリジナルロゴ(もちろん手描き)のカップがついてきます。おそらく全部雰囲気が違うので、選ぶのが楽しいですよ。お待ちしております!
2018年10月17日
カテゴリー: スタッフエッセイ
ローカルな、プラッツの、周りをぐるっと、集うみなさんの、カタチ。
宮武 小鈴
家、家、家。
昨年、メンバーや親ごさんみなさんに「家」を描いてもらった。各人が思う「家」の絵だ。5センチ四方くらいの紙にサインペンで簡単に描いてもらったのだが、これがおもしろすぎた。人によって、全くカタチが違うのだ!!!(当たり前なんやけど…)。
オーソドックスな「家」もあり、また非常に個性的な家もあり。顔みたいなもの、ファンタジーなもの、シュールなもの、高床式、これは城か?外国?シンプルイズザベスト!?……などなど。
見知った方々の表現なので、単に家の絵が集まった、ではなくて「○△さんが、描いた家」という味わい方ができる。日頃のおつきあいだけでは知り得ないキャラクターが、現われていたりして最高に面白い。
2016トートバック
昨年のこの時期は、これらの「家」を柄にしてトートバックをつくった。
まず、消しゴムハンコにして、布に押していくのだがこれが想像したより大変、一緒に押してくれたメンバーも親ごさんも、ひたすら職人のように……サンキュー。不思議なのは、個性的な家ばっかりなのに、全部押したら調和していること。プラッツ七不思議に加えてもええね。
親ごさんの中に縫製が得意な方がいらして、相談しながら全部で24枚くらい完成。プラッツフェスティバルですぐに売り切れたので、私も他スタッフも買えなかった。残念だった…!!!結果、すごい限定版となった。
2017カフェグッズ
今年は縫製含めてお手伝いくださる親ごさんが増え、「何をつくるか」から関わっていただいた。そして、ランチョンマット、コースター、お弁当袋、マルチクロス、ブックカバーなどなど、つまり“カフェグッズ”。今年の11/11(土)の大・親の会イベントで販売するので乞うご期待!!!! 昨年は、ランダムに家が配置された“柄”だったが、今年は家と家が道でつながって地図みたいになっている。「家と家が、遊歩道でつながる地図」柄だ。
やっぱり、ゆうほどう。
この機関紙も“ゆうほどう”だが、25年前にメンバーがつけた名前らしい。「あなたの家と、プラッツがつながる道」という意味で、“ゆうほどう”になったとか。こういう、プラッツに関わってくれたいろんな人の細やかな「想い」が、この居場所をつくっていってるんだなあとしみじみ思う。そして現在進行形で……。
ゆっくり、まったり、ほのぼのと。
家を描いてもらって、まだハンコにできていないものもある。描写が細かい場合は、ほぼ後回しになっている……。というわけで、また、来年に向けてぼちぼち家を増やしていこう。アナログだけどバーチャルなプラッツ周辺の地図が、出現しようとしている……!!!
2017年11月30日
カテゴリー: スタッフエッセイ
アートプラッツ展望台
2017年5月31日
カテゴリー: スタッフエッセイ
プラッツの“居場所”が出島のようにピョコっと現われるところイロイロ
宮武 小鈴
BBQ場にて…
つい最近、毎年恒例のBBQ(今年は親ごさんなし、メンバーのみ)をしにみんなで鶴見緑地へ。このイベントに関してはメンバーもスタッフもたくさん参加するのでいつもの居場所が解放的に野外に現われた図。いつものスーパーインドアなお部屋からあまりに違い過ぎてニヤリ…。BBQ卓の斜め向かいにおそらく大学生と思われる十数人の男女のチーム。初対面なのか2卓が男女でパキっと分かれており、そこが気になったがどうでもええか。こちらは昼からナイトプラッツの様相、毎年来てるせいか役割もなんとなく出来ていて基本的にチームワーク最高。そして肉!ドリンク!!また、謎に鍋料理(芋煮)を始めるメンバーもいて、「アクアパッツァ」なる料理も登場、どんどんよくわからない状態になっていくが、隣の社会人と思われる卓の人たちもこちらの鍋がどうにも気になる模様。気づいたら交流しているではないか。あぁ、サイコーだ、この“人のごった煮”感。気になる大学生男女チームも、最終的には男女混じるようになっているのが遠目で見えて、よかったよかった。
プラッツフェスティバル~会場は“鍋”なのか~
2008年2009年と開催した要するに「プラッツ祭り」。メンバー、親ごさん、関係者、OB、スタッフ…とにかくみんなで関わる祭り。当日4時間半にごちゃっといろいろイベントがあり、これ究極の「ごった煮」感。今年は会場に、何度もゆうほどう誌面に登場している「猫図書」さんにご協力いただき、おしゃれ感もオン。ぜひ皆様、このごった煮の“具材”になりに11/12はいらしてください☆コワくはないです、おそらく。まぁまぁ、そう言わんと、のぞくだけでも…☆
プラフェスでお目見え、プラッツグッズ~つながっていく景色~
来年25周年やし、オリジナルグッズとかあったらええなぁと思っていたら、「縫えるOB母」とのコラボが実現。3種類とトートと実験的にペンケースを製作します。ここで“人のごった煮感”を具現化。メンバー、親ごさん、関係者、スタッフみんなにそれぞれ「家」を描いてもらって、それがトートバックの裏地の柄になるのです(本誌の表紙参照)!さらに、表地の柄は買った人自らが好きな家をカスタマイズします(詳細は当日お楽しみ♪)。第一弾は小ロットなので、当日完売後は予約受け付けます!また、「家」の絵も随時募集中。自分の描いた家と、みんなが描いた家がつながっていく景色が、トートバックに。素敵なんじゃない?
アートプラッツはじめました。
と、こんなプラッツの“居場所感”をもうちょっと味わってもらえる人が増えたらいいな、とはじめました。「表現」をテーマにしているのでちょい、非日常感はありますが、日常と非日常がゆるやかにつながっていく場所、それが淡路プラッツの“居場所”なのであります……。
(★アートプラッツが毎日新聞の記事になりました。プラッツホームページからリンクしています)
2016年10月30日
カテゴリー: スタッフエッセイ
“表現力の居場所” 線を引こう、一歩目のエッセンスが必要なときに…
『アートプラッツ』って、なんだかゴロがいいと思いませんか?
線を描く……実は、4~5年前から構想があったんです。もともとプラッツのいろんな場面でメンバーや関係者や、いろんな方と表現活動をさせてもらう機会がありました。プラッツの通常の居場所活動の中でも時々してたんですけど、こんな感じを切り口にもっと「表現」に焦点を当てた居場所があったらいいなと。
何もない紙に線を引いたり色をつけたりするところから、ちょっと考えたり悩んだり工夫したりしながら、誰かと過ごす居場所。小さな「無から有」をたくさん体験して味わって、共有する!なんか想像するだけで楽しい……だが抽象的……(しかもなんと地味な楽しみ……)。
面を作る……「表現」といっても音楽とか身体とか入れたら可能性は無限にあるんですが、まずは地味でオツなところからはじめます。やっぱ「線を引くこと」。その次は「光と闇」とか。「素材」もおもろい。「見る」もクセになりますよ。こんな感じで禅っぽいですけど、簡単なタイトルの時間を今年は6回くらい作りたいと思っています(ほんまはもっとやりたいが…)。
“上手い/下手” “きれい/きれいでない” “器用/不器用” なんかは全く関係ない世界です。
味わえたらいい、それだけなんですが、自分自身が引いた線を見て、味わえて、3割くらい納得できた積み重ねは、大いに自分を元気にします。
立体になる…プラッツのフィールドでするのは非常に意味があります。プラッツに関わる方はもちろんですが、居場所には来にくい方や、居場所支援にはつながりにくい方、親ごさんとか、年齢なんかも関係なく参加していただけるかな、と考えております。普段私が、中学生から80歳の方まで関わっておりますと、話題と知識は差がありましても“感覚・感性”は共感できる部分も多いと感じます。そういうところで、年齢・立場を超えて共感・共有できた体験は、これもまた知らないうちに元気のモト、自信の栄養、心のおやつになっていくようです。
閑話休題…「プラッツ」という名前をつけた人たち(当時のメンバー?)のセンスに頭が下がります。「○○プラッツ」って、何でも使えるんですよ。定例ものから単発ものまで、おおよそプラッツで遊ぶほとんどの内容に名前を付けることができます。ナイトプラッツ、カクテルプラッツ、徹夜プラッツ(なんか夜ばっかりか)、お掃除プラッツ、音楽プラッツ、……というわけで、「アートプラッツ」もその遊び心を踏襲しつつ広げてまいります。
時間ができる…というわけで、お気づきかもわかりませんが、アートプラッツは少々謎めいたコミュニケーションのエクササイズといえるかもしれません。社会参加に自己表現は根源的に必要ですが、アートプラッツが、若者にとってはその一歩一歩を、「感性」を前面に積み上げていくツールになればとおもいます。また、社会参加はしてるけどちょっと一休みの居場所も欲しい方のエンパワメントの場ともなればと、現在企画を練っているところでございます。
宮武 小鈴
2016年5月18日
カテゴリー: スタッフエッセイ
プラッツスリッパ
宮武 小鈴
プラッツに来たことのある方ならご存知とおもいますが、プラッツには「お迎えスリッパ」というものがあります。「お迎え花」のような格調高めのものではございませんが、やや暗めの玄関に何らかの、
〝はな〟を添えている…ということにしています。
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さて、今まで使ってきたものはおそらく6年以上前に制作したもののような……(えーっ!6年以上スリッパを換えてなかったんか?!)。それも驚愕だ。当時のメンバー数人で作ったときの妙なハイテンションとゆるい感じにもかかわらず、使い出してみると特定のスリッパに固定ファンがついたりと変な現象が起こった。一番人気は≪真ごころ込めて≫。記憶では老若男女問わず、ファンがいたように思う。最近では或るメンバーがMYスリッパとしてか?どうやら愛用している。≪お地蔵さん≫もファンいたな…。
そのスリッパにとうとう引退時期がやってきた。新しいスリッパにそろそろ変えようというのだ。がーん!! 個人的には、普段全く履かないにもかかわらず(履くと私はすべる)、なぜか非常に抵抗を感じる。そんなに傷んでいるのか!と思い、久々に履くとナルホド、非常に有機的だ。スリッパとは思えない柔らかさ、ビニール系素材を思わせない皮のような風合い……。まるで、人格……ではないか、スリッパ格を持っているかのようだ。よく見ると、新品にはないほどよい光沢まであるではないか……。
やはり、新作をつくることにした。あれではスリッパに風格がありすぎて、履くたびに気をつかってしまう。今回はさらに、左右の色違いもあるので日常の気分を180度転換したい人にはおすすめだ。
メンバー達は非常に感性が深く、私は心の中で〝味わい人(びと)〟と呼んでいる(カミングアウト)。「アートプラッツ」に適している人種だ。というか、遊び心の分かる人たちだ。特にスリッパには、おもしろく変な世界が必要だ。プラッツではそれは美しくなくてよく、洗練されてない方がいい(というか、建屋に合わないやん)。人間は履物を履いて、人生を歩んでいき、それは人生の方向を共にする存在だ。スリッパプラッツは、どんな方向に連れていってくれるのか……。
「味わい」「笑い」「楽しさ」でお迎えするスリッパプラッツ、皆さまのお越しをお待ちいたしております。
2015年10月27日
カテゴリー: スタッフエッセイ
闇との闘い方…日常、だが非日常的。
宮武小鈴
【暗黒部隊の存在】
「私は日夜、暗黒部隊と戦っている」。
これだけ書くと、小鈴さんはやっぱりヤバイ人やなぁ……と思われる。
その暗黒部隊がどこに居てるのか、が問題だ。それはあっさりいうと、自分の中にある。自分の心の暗愚との闘いともいえる。そして日々、勝ったり負けたりしている。
さて、この〝闇との闘い〟は物語として暗喩されていることが多い。小説、ゲーム、漫画、映画、あらゆる物語の中に表現されていてご存知ファンが非常に多いことも、このような世界感に案外、感覚の根底で多くの人が共感できているからだとおもう。そしてこの“暗喩”は普段の生活の中にもあって、それに気づくと日常のあちこちに“闇との闘い”がベースとしてあることになり、一気に日常の非日常感が高まってファンキーだ。でも気をつけたいところは、それを簡単に「正義と悪」との闘いと言ってしまうと本当に面白くない。やはり「光と闇」という表現の方が深いものがあり、しっくりくる。善と悪が拮抗している世界というよりも、光輝くおとぎの世界が〝闇の世界〟と仲良くセットになっているのだ。
闇との闘いのバイブルといえば「ゲド戦記」。アニメ映画でもあったが、原作の方がやはり秀逸だ。舞台は架空の世界だが、〝己の闇〟がどこにあるのかが書いてある。たとえば、主人公が顔に負った傷の由来、「闇」が潜んで自分を待っている世界の境界、闇に親和する女性の話、などうすら怖いと感じる場面もある。それから、現実的にわかりやすく書いてあったのは『三国志』(吉川英治)だ。一言でいうと人が衰退していく様子がわかりやすく描かれている。特に死ぬ前の英雄には共通の〝兆候〟があり(諸葛孔明は違っていたが)、人のあり方として学ぶところは多い。
ところで、いつも一つ疑問がある。「闇の根源は何か」。
何万年前から、どの時代から、いったいどの人から、どの猿からはじまったんだろう?
【闘い方がある】
“闇との闘い”にはいくつか重要な要素がある。「モンスター的なものが出てくる」「仲間とトラブルを乗り越える」「でも案外たったひとりで立ち向かわないといけない場面がある」。これら全てが自分の中にある世界だと思うと、日常世界が一気に深度が増す。
ところで、“闇との闘い方”の方はどうだろう。剣でぶっ刺す、弓でぶち抜く、罠にかけて捕縛する……これくらいがイメージしやすいが、私のお勧めはこちら。ハリ―ポッターの中で、狼男のリーマス・ルーピン先生が〝闇の魔術に対する防衛術〟を教えるのだが、それは恐怖の対象を〝笑い〟に変えるというもので、吉本新喜劇で育った関西人には非常になじむかもしれない。これもあり。
この“闇との闘い方”を工夫するために日々の中に研究があり、本を読んだり、遊んでみたり、何かを作ってみたり、人と話してみたりする。
だが本当は、一番怖いことは、自分の暗黒部分が暗黒かどうかがわからなくなってしまう、ということだ。それを正義にしてみたり、善なるものと思ってしまった時に、誰かを巻き込んで深刻だったり時には悲惨だったりする状況が生み出されてしまう。
そのために、他人が居ると思っている。「それ、闇やん」「それは案外、闇ちゃうで」と暗に教えあえるような、時には声をかけあえるような関係の、友人知人家族が居て欲しい。それが仲間かもしれない。本の著者でもいい、過去の偉人でもいい、架空の人物でもいい、気付かせてくれれば。
とにかく個人の闇が、バランスを崩していろんな形で膨張していかないように……。
2015年1月1日
『表現×プラッツ』
宮武 小鈴
まっ白い紙に、最初に線を引くとき、ためらいませんでしたか?小・中学校の図画工作の時間を思い出すとき…。
それにいつからか慣れて、思い切りよく描けるようになっていませんか?それともまだ、緊張したりしますか?
《感じる×深める×広まる》
昨年度から、メンバーと『アートプラッツ』という時間を定期的に設けるようになりました。自分でしておきながらなんですが、実は〝アート〟という言葉が大嫌いでした(笑)。軽々しくて、簡単に使われていて、でも本質的な深いところはマジョリティに受け入れられないままにアピールだけしようとしているイメージがあって。
現代美術の要素の一つに〝異端〟だったり〝マイノリティ〟的なものがあります。それは、ある種既存の概念を壊す役割があるからです。作品は、創る者がそれぞれの○○……例えば心の内側?例えば神?命?何か賭けるもの……、と向き合って出てきたなんらかの形だと認識していますが、それと大衆の融合ってありえない…。でも反面、その創り手の「感受性」は理解されるようになったらいいのになと、広まったらいいのになと思っていました、もちろん今もです。一人ひとりの感性が深まって、広がって、それで世界が“平和”になるようなメッセージが“表現されたもの”にはあるといえます。
近頃、“アート”なるものはだんだん市民権を得はじめているような…いやかなり得ています。例えば草間彌生の作品が駅のポスターになっているなどかなり象徴的です。20数年前は彼女の作品は美術手帖等でしか見たことなく、当時いわゆる「美術おたく」と言われていたような(笑)人々の間でしか知られていませんでした。
また、昨年も居場所で旅行しましたが金沢21世紀美術館など現代美術の展覧会に、老若男女が気楽に来ているのをみると、感性進化論的(どんな論だ)には日本は繁栄している、と感じたりもします。
《感じる×続ける》
ところで、ホットな話題(←言い回しが古いな…)ですが7/9に南河内プラッツで「プラッと描いてみよう」というイベントをしました(このゆるいネーミングは某スタッフヤスハラさん)。パネル2枚をつなげて参加者7人の合作。結果、傑作。今月のゆうほどう表紙がそれです。このコラボレーションの醍醐味は『自分以外の人の感受性をライブで見て、聞いて、感じる』ことをシンプルにできるところです。と同時に、『自分の表現を味わってくれる人がいる』ことです。“ひとりひとり、人間って違う”(どっかのキャッチコピーみたい…)というけど、感じ方の違いを日常で意識して体感することは少ないと思います。例えば家族間、親子間、友達間、ご近所間……特に共感して生きざるを得ない間柄では……。
このコラボでは、同じ「お題」で線・形を描きます。例えば今回の大テーマは『台風』(皆で決めた)。その中で出てきた言葉、「ピカッと光る」「オキナワ」「ビューっと」とかを感じながらそれぞれに線を描く。テーマは同じなのに、色や線、形を、自分では想像もできないものを他の人が描く。そのとき、コトバにできない発見とか納得とか理解が生まれたり……(シンプル!)。これを、『最小単位の異文化交流』と呼んでいます(!)。
さておき、この『感性の世界』。色、形、音……すなわち、アート・音楽は、言葉以前の世界のものともいえます。体験することでよくわからないけど元気が出たりします。それは、シンプルで根源的つまり人の「生命」レベルの原始的な状態にコミットしているからだと。
某音楽学者がどこかでこのようなことを言っていましたが、「楽曲を理解したかったら何か楽器をやったり歌ってみたらいい」と。
『アートプラッツ』は自分の感性を理解するために「やってみる」。それを、一緒にやります。“絵”が描けなくてもOK。一緒に線を引こう、形つくってみよう、感じ続けよう、感じたことは言葉にしてみよう……この繰り返し。
『その時、自分がどう感じたのか』をしっかり捉え続けていく、これを進化させてイイもワルイも超えて正解のない「自分の感覚を信じる」ことができるようになる日。
ためらっても、不安でも、なんだかわからなくてもOK。
結果、白い紙に自分が引いた線をなんだかイイ線やな、と感じることができるまで…。
2014年7月1日
カテゴリー: スタッフエッセイ
居場所とスタッフとは?
真面目な話は他のスタッフが書いてくれるかなあと思うので、今回は〝大阪のねーちゃん系エッセイ〟でございます。
近所のお姉さん風
和風、洋風、中華風……いろんな味ありますが、私が13年前にプラッツにフラリとやって来た時〝時々現れるシュッとしたお姉さん〟という立ち位置のはずでした。あれから13年、現在はどうなったかというと体重も5キロ増え、自称〝番台のおばちゃん〟に変化。プラッツに来た若者も居場所で変化しますが、スタッフも変化しますよ、いや進化と言いたい。私は実家も今の住まいもなぜか自家風呂がなく銭湯歴数十年ですが〝番台のおっちゃん・おばちゃん〟は実に不思議な人種なんですよ。女湯と男湯の狭間に位置し、性別を超えてどちらも行き来できる…、そして脱衣所のチャンネル権まで支配しています。
プラッツスタッフにチャンネル権は無いですが、この〝番台のおばちゃん〟は居場所スタッフとしては理想的な立ち位置やなあと感じています。皆が目指す必要は全くもってないですが…。
これは例え話で、若者と老人とか男女とか、声の大小、身長の高低、趣味の深浅、欧米人とアジア人、気圧の高低……社会の中ではある程度の枠があります。そこが〝ユルめ〟に存在するのが「居場所」です。基本的になんでも良く、あいまい。だから、家から出てここに来る若者も〝あいまい〟でいいんです、最初はみんな。
昭和というスキル
思いださなければ忘れそうになりますが、私が小学1年の頃は家の前の道路は土でした。
砂埃の中、何でか年1回阿波踊りが来ていました。
犬を飼っている家は少なくて、基本放し飼い。
私の家の犬もそうでした。タローといいますが非常に賢い犬で、近所をパトロールした後は私の学校帰りの途中まで迎えに来てくれていました。
町内に鎖で繋がれた犬が1匹いてて、〝あっこ(あそこ)の家の犬、かわいそうやな〟と子どもたちは言っておりました。
また、家の中でマルチーズを1匹飼っているおばちゃんがいてて〝あっこの家、お金持ちなんかなあと、これまた子どもたちは言っておりました。
そういえば家族全員出かけてても玄関に鍵をかけてなかったなぁ。
思いだすと、平成の世ではありえないことが普通でした。
さておきなんというか、いうなれば「明快にできないこと」がフツウにあちこちにあったような。
公園で遊びに交じってくるおっちゃん、ポン菓子売りの音、怪しい道、猫屋敷、犬屋敷(←これ、私の家です)、空き家、路地裏、駄菓子屋のおばちゃん……。
あのグレーゾーンと昭和人はどこに行ったんやろう?
例えば、今繁栄してる抗菌文化とかありえないシチュエーションですよ、昭和は。が、あいまいな若者を受け入れるあいまいな居場所を居心地良くさせているのはこの「昭和」といっても過言ではないです。
また若者に必要なものは〝何かできる隙間〟で、完全に整った環境って何もすることないんです。
隙間だらけでおもしろかった昭和は若者が出来ることも満載で、そのドキドキ感を少し、居場所で味わってもらうメニューを今後もたくさん作っていきたいなと思っています。
いつぞやの大台風で、階段横の壁がなぜかふくらんだプラッツ。
末永くあってほしい…。
大切なこと
私の中で居場所は〝ごった煮の美味しいスープ〟であり〝4次元彫刻〟であり、みんなが役者の〝映画〟であります。
テーマはずばり《希望》。そこまでメッセージとしてプラッツが表に出すことは普段ないですが、日常生活って探せばおもしろいこと一杯転がってたりします。
それを一緒に探すこと、探す方法を一緒に考えること、知ってたら先輩として若者に教えること、それがスタッフだと思っています。まあ、おもろいこと以外ものも転がってるから、この世はややこしいんやけど……。
ご清聴ありがとうございました。
宮武小鈴
2013年12月1日
カテゴリー: スタッフエッセイ